ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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三木城本丸跡の上の丸公園から南に数分歩いた所に雲龍寺があった。

三木城二ノ丸に続く高台にあり、ここも城内の一角だったと考えられる場所だ。

山門の左右は白壁の塀建が続き、山門前には、向かって左には「三木釜山城主 別所則治公中興開基雲龍

寺」、右には「村上天皇勅願所 後醍醐天皇御下賜高源山」と刻まれた寺標が建つ。

山門をくぐると正面に本堂が建ち、右手に庫裡が並ぶ。

雲龍寺は、村上天皇勅命により天徳2年(956)慈恵僧正の創建と伝えられる曹洞宗の寺院である。

その後、久しく廃絶したが、14世紀前期播磨の守護赤松円心入道則治が再建し、後醍醐天皇より「高源

山」の山号を賜った。

文明年間(1469〜1487)時の城主別所加賀守就治が異忠禅師を招いて再建し、その時規模を一新して禅寺と

して開山した。

しかし、天正6年(1578)三木合戦で焼失した。

その後三木城主になった杉原伯耆守が再建し、天正13年(1585)秀吉から境内山林並びに30石の寄進状

並びに制札を受け、以後江戸時代になっても徳川将軍家から朱印状が出され、明治時代までは公的性格が

強く檀家もなかったという。

寺域の外れに別所長治の首塚があり、毎年1月17日別所長治の命日には、秀吉の2年近い兵糧攻めで、城内

では壁土の中の藁を食べたと言う言い伝えにより藁を見立てたうどんを食べて当時を偲ぶ会が催されてい

るそうだ。

イメージ 1 雲龍寺山門前


イメージ 2 雲龍寺境内
正面に建つのが本堂

イメージ 3 イメージ 4
  別所長治、照子夫人首塚
三木城開城にあたって、別所長治及び一族は城兵と領民の助命の為天正8年(1580)1月17日自刃した。
その後、長治の首級は安土の織田信長のもとに送られた。
それを雲龍寺の住職春泰和尚が貰い受けて埋葬したもの。
昭和17年(1942)改修、昭和48年(1973)照子夫人の霊を合祀し、玉垣を築いた。
因みに、長治の遺体は法界寺に埋葬されたと伝えられる。

イメージ 5 雲龍寺境内図

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