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梅雨時のどんよりした天気の日、JR山陽線「土山」から北上した。 ここら辺りは神戸市や明石市の西隣の稲美町で、印南(イナミ)という字が当てられた地域だ。 この時万葉集にある畝傍山をめぐり、香久山と耳成山の争ったという、中大兄皇子の長歌の反歌を、 ふと思い出した。
香具山と耳成山とが争った時、(出雲の国の阿菩の大神が、争いを止めようと)立ち上がって見に来た印南 国原よ、と云う意味だが、この反歌の舞台がここかと思って周囲を見渡すと、田園と人家が入り混じり、 やたら溜池の多い平坦な地域である。 その溜池の一つ・辰巳池の北側に古刹らしき寺が見えたので寄ってみた。 寺は、野寺山高薗寺(コウオンジ)といい、真言宗の寺院で、播磨西国24番霊場、郡西国三十三番霊場でもあ り、地元では「野寺の観音さん」と親しまれている。 開基は、白雉年間(650〜655)、播磨を中心に諸寺に足跡を残した法道仙人という古刹だ。 この地に飛錫した法道仙人は霊夢を感得し千手千眼観音菩薩像を刻み安置したという。 その後弘仁年間(810〜824)に弘法大師が脇侍を安置した。 南北朝時代には、中興の祖如林上人が近くの法雲寺と合併して、山号を「野寺山」と改め、堂宇を整え 大いに隆盛し、更に赤松氏の加護を得て金堂など32坊が軒を連ねたと言われる。 しかし、天正6年(1578)羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の三木攻めで焼失、 江戸時代になり、姫路城主池田輝政が復興に支援し御朱印寺となった。 現在は本堂(観音堂)、薬師堂、鐘楼堂、庫裡が残っている。 西側の雑木林の中には、四国八十八ヶ所霊場、西国三十三所霊場が造られていた。 訪れた時は全く人気が無い寺域であったが、暫くすると、近くの保育園から先生に引率された園児が遊び に来て賑やかだった。 本堂西隣に建つ十三層之塔は昭和58年(1983)建立 本尊千手千眼観世音菩薩
ここで毎年2月9、10日に行われる鬼追会は、鎌倉時代から続く。 仏の化身である赤鬼(毘沙門天)と青鬼(不動明王)が回廊を太鼓と法螺の音にあわせ、燃え盛る松明を振りかざして天下泰平五穀豊穣を祈り豪快躍に踊り、要所で松明を投げつける。 それを見物人が争って拾い、家の玄関に掲げると魔除になるといわれている。 四国八十八ヶ所霊場 文化6年(1809)勧請創祀 最近では昭和57年(1982)再建の石祠が多い 必ず石祠の中には本尊と弘法大師の石仏が安置してあった。 西国三十三ヶ所霊場 青石という自然石を立てて、そこに観音像をはめ込んだもの |
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