ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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亀岡公園を過ぎ、滝口寺、祇王寺に向かって、小倉山の東麓の道を歩く。

嵯峨野はいつ来てもよい。平安の昔からよかった。

清少納言も「野は嵯峨野さらなり(野は嵯峨野が良いことは言うまでもない)」と「枕草子(162段)」

に記している。

紅葉のシーズンには大変な人込みになる常寂光寺を過ぎると右手(東側)は開けて田園風景となった。

田圃越に、落柿舎が見える。 その西隣にウバメガシの生垣に囲まれた墓がある。

嵯峨天皇の皇女有智子(ウチコ)内親王の墓だ。

大同2年(806)嵯峨天皇の第8皇女として生まれ、弘仁元年(810)「薬子の変」を切っ掛けに4歳で初代賀茂

社斎王となり、天長8年(832)辞する。

この後、嵯峨で独身を過ごし承和14年(847)41歳で没した。

彼女は数少ない女流漢詩人としても知られ、その才は嵯峨天皇を驚かせたといわれ、「経国集」に10首が

遺されている。


イメージ 1 有智子内親王の墓
有智子内親王についての説明板が無いのは残念だ。
折角、観光客の行き交う道に接しながら、ほとんどの人が関心を寄せない。


嵯峨天皇が即位した翌年の弘仁元年(810)「薬子の変」と呼ばれる、平城上皇、藤原薬子らによる平城京

復帰事件が発生する。

その際嵯峨天皇は賀茂社に戦勝祈願し、平定の暁には皇女を賀茂社の斎王にすることを約束した。

坂上田村麻呂らの機敏な動きで、「薬子の変」は鎮圧することができたので、有智子内親王が初代斎王と

なった。

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