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♪♪♪京都 嵐山(ランザン)大覚寺 恋に疲れた女が一人 塩沢かすりに 名古屋帯 耳を澄ませば 滝の音 京都 嵐山大覚寺 恋に疲れた女が一人♪♪♪(永六輔作詞、いずみたく作曲「おんな一人」) 大覚寺東側にある大沢池を急ぎ見たので、まだ一時間ほど大覚寺を拝観する時間があった。 15時半を過ぎていた所為か、拝観者の姿は少なかった。そして静かだった。 大覚寺は山号を嵯峨山と号し、正式名称を旧嵯峨御所大覚寺門跡といい真言宗大覚寺派の大本山である。 嵯峨天皇が親王だった頃、橘嘉智子(タチバナカチコ 檀林皇后)との成婚の際造営した離宮嵯峨院の一部で、 承和9年(842)嵯峨天皇は崩御された後、貞観18年(876)正子内親王(嵯峨天皇の第一皇女・淳和天皇皇后) が清和天皇に上奏して寺に改められ、大覚寺と名付けられた。 そして、淳和天皇の第二皇寺・恒貞親王が大覚寺一世(開山)となり、恒寂法親王と称した。 こうして、大覚寺は最も古い門跡寺院である。 そして、次稿で記すが、南北両朝講和の場としても知られている。 仲秋の名月を愛でる「観月の夕べ」の案内が立っていた。
式台玄関(大玄関)
江戸時代初め、御所より移築されたもので、 旧嵯峨御所真言宗大本山大覚寺の玄関正面を飾る画は狩野永徳の「松ニ山鳥図」(模写) その前に後宇多法皇が使用した輿が展示したあった。 宸殿 江戸時代初期の延宝年間(1673〜81)に後水尾天皇より、皇后東福門院和子(マサコ 徳川秀忠の娘)が使用していた女御御所の宸殿(元和5年:1619)を賜り、移築したもの(重文)。 桧皮葺 御殿風寝殿造り 蔀戸の留め金部分は蝉の装飾がある。
宸殿襖絵(模写)
宸殿の襖には狩野山楽によって描かれた牡丹、紅白梅、松、鶴などがあり、桃山時代を代表する金碧画が飾られている。宸殿前の庭には一面に白川砂が敷かれ、大海を表している。 正面の(宸殿側から向かって)右近の橘、左近の梅が植えられ、旧御所の名残りを留めていた。 |
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2011年09月22日
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