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足摺岬に建つ金剛福寺は、正式には「蹉跎山(サダサン) 補陀洛院 金剛福寺」といい、真言宗豊山派の寺 院である。 開基は空海(弘法大師)と伝えられる。 空海が唐から帰国の際、有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵が足摺岬に飛来したとい われている。 空海は、足摺岬の突端に広がる太平洋の大海原に、観世音菩薩の居られる聖地補陀洛を感得し、嵯峨天皇 に奏上した。 弘仁13年(822)嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅額を受けた空海が、三面千手観世音菩薩を刻み、堂宇を 建て安置し開創したといわれている。 室町時代には尊海法親王が住職を勤め、幡多荘を支配した一条家の庇護を受けた。 しかし、戦国時代には荒廃したが、江戸時代に入り、土佐藩二代藩主山内忠義が再興したものである。 境内には、本堂の右手に、護摩堂、多宝塔、左手に、池を囲むようにして、弁才天、鐘楼、愛染堂、 権現堂、行者堂、大師堂などが並んでいた。 護摩堂 不動明王を安置している 脇に応安8年(1368)の九輪宝塔が安置してあった。 鐘楼の内部には現鐘の下に旧鐘が展示してあった。 |
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