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冬は、いみじき寒き。(清少納言「枕草子」121段) 今年も一段と寒い。そしてもう少し耐えねばならぬようだ。 平安時代の何某の女房は「冬は、ひどく寒いのが良いの。」なんて書き残しているが、程度による。 そんな冬の晴れた日、特に予定があった訳ではないが、10時頃ふらっと大阪に出てきた。 大阪のメインストリート「御堂筋」を南に向かってぶらりぶらりと歩く。 名物の並木の公孫樹は全く葉が無く、冬の日差しが隅々まで行き渡る感じだ。 車道は一方通行で激しく車が走って行くが、歩道といえば、朝の通勤通学の時間帯から外れている所為 か、人の姿はそれほど多くない。 その内、北御堂の前に来た。 御堂筋は幾度もぶらついているにも係わらず、一度も参拝したことが無かったので、入ってみた。 北御堂は、正しくは本願寺津村別院、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院だ。 南約500mにある南御堂(真宗大谷派難波別院)と並んで大阪の人々に親しまれ、メインストリート「御堂 筋」の名の由来でもある。 親鸞聖人によって開かれた浄土真宗は、中興の祖と仰がれる本願寺第8代蓮如上人によって飛躍的な伸展 を遂げた。 蓮如上人によって、明応5年(1496)建立された坊舎が始まりで、これが石山本願寺へと発展した。 石山本願寺は寺内町を形成し、やがて一大城郭を構えるようになった。 しかし、元亀元年(1570)天下制覇を目指す織田信長との間に石山合戦が起こり11年に及んだ。 天正8年(1590)和を講じて合戦を終結させ、寺基を紀州鷺森、貝塚、天満と転々した。 最後に、天正19年(1591)に寺基は京都堀川に移った。 しかし、大阪の門徒は天満に近い「桜の岸」に坊舎を建立した。これが津村別院の始まりである。 慶長2年(1597)「津村郷」と呼ばれていた現在地に移り「北御堂」と称されるようになった。 御堂は、昭和20年(1945)3月の大阪大空襲で焼失したが、昭和39年(1941)再建された。 本堂の広い静まり返った堂内に参拝者は 一人だけだった。大阪のメインストリート「御堂筋」西側に建つ。 山門に入って左手に建っている。 本願寺中興の祖と言われる第8代宗主 山門に入って右手に立っている。 浄土真宗の開祖 鉄筋コンクリート造りの豪壮な建物である。 本尊阿弥陀如来像が安置されて、誰でもいつでも拝むことができる。 左横には第23代勝如上人像図、右には宗祖親鸞聖人像が安置してあった。 |
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2012年01月27日
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一人だけだった。

