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願泉寺を中心に発展した貝塚寺内町は、東は南海本線、西は大阪湾、南は清水川、北は北境川で囲まれた 中町、北町、南町、西町、及び近木(コギ)町が範囲だった。 その中心に紀州街道(現在の堺阪南線、旧国道26号線)が西南から東北に貫通する。 現在でも、中町、北町、及び西町の範囲に、寺内町の名残りの住宅が点在し、そのうち10家が登録有形 文化財の指定を受けている。 それらの内6家ばかりを見てまわった。 いずれも江戸時代からの建物で現在も人が住んでおられる生きた建物であった。 したがって、時代に合わせた改造は行われているが、寺内町時代の面影は十分に残していた。 ただ残念なのは、これら住宅が点として存在しているだけで、連続した町並みとして、或いは、街全体と しての景観維持への取り組みや工夫が見られなかったことだ。 このままでは遅かれ早かれ消えてしまうことだろう。 並河家は願泉寺住職卜半(ボクハン)家の旧家臣 主屋:天保3年(1832) 土蔵:江戸時代後期 山田家は願泉寺住職卜半(ボクハン)家の旧家臣 主屋:江戸時代末期 竹本家、利斎家住宅 堀之町筋に面して、(手前右が)竹本(久男)家住宅、(その左が)利斎家住宅が並んでいる。 その先に(登録有形文化財に指定されていない)帯谷家住宅が建つ。 竹本家は旧木櫛製造業、東主屋:江戸時代末期、西主屋:昭和7年(1932)頃 利斎家は旧薬種問屋、主屋:江戸時代中頃、土蔵:江戸時代後期 岡本家は旧醤油製造業 主屋:江戸時代中期 天保12年(1841)増築 土蔵:江戸時代中〜後期 宇野家は旧鋳物製造業 主屋:江戸時代末期 東蔵:江戸時代末期 西蔵:明治時代 尾食家は旧旅籠屋・両替商 主屋:天保10年(1839) 昭和6年(1931)国道26号線(現、府道堺阪南線)拡張に伴い切断された。 尾食(オメシ)という姓は紀州の殿様が、参勤交代時に当家で食事したことからと言われている。 |
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2012年02月12日
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