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「本堂の東に三社権現の社あり。是は観音を網にて引上げ奉りし檜熊の浜成と竹成と云、二人の 漁夫の在家を改て精舎となし、真中知といひし漁師と併せて三人を権現といはい、三社の護法 という是なり」 (戸田茂睡「紫の一本」) 浅草寺本堂(観音堂)を出て、右手(東)の二天門に向かって進むと浅草神社があった。 もしかしたら、五月の例祭の名から、浅草神社というより、旧名称である「三社明神」あるいは「三社 大権現」と言った方が通りが良いかも知れない。 また、明治の神仏分離令後は、浅草寺と別法人であるから、浅草寺の稿で取り上げるのはおかしいかも知 れない。 しかし、江戸時代までは浅草寺と一体であったし、現在でも境内の中に鎮座している感じなので、浅草寺 の稿として扱うことにした。 祭神は土師真中知命(ハジノマツチノミコト)、檜前浜成命(ヒノクマノハマナリノミコト)、檜前竹成命(ヒノクマノタケナリノミコト)、東照宮 (権現様、徳川家康)である。 浜成と竹成は隅田川で漁労中、浅草寺本尊の観音像を網で拾い上げた人物、真中知はその像を奉安者と言 われている。 3神を祀る神社なので「三社さま」と呼ばれた。 慶安2年(1649)東照宮を合祀し、それ以来「三社大権現」と言い、明治元年(1868)三社明神社、明治6年 (1873)浅草神社と改称した。 浅草神社は、創建年代は不詳であるが、浅草の総鎮守である。 (昔は3月だったが)毎年五月に行われる例祭は「三社祭」の名で知られ、百体近い町神輿の渡御があって 人々が群集し賑やかである。 は延べ5年近く東京近在に住んだことがあるが、残念なことに一度も見物したことがない。関西に移っている現在、悔やまれる。 祭神は浅草寺創建に関わった3社 土師真中知命(ハジノマツチノミコト)、 檜前浜成命(ヒノクマノハマナリノミコト)、 檜前竹成命(ヒノクマノタケナリノミコト)、 と 東照宮(権現様、徳川家康)である。 慶安2年(1649)徳川家光が再建。 重文 拝殿・石の間(幣殿、相の間)・本殿と繋がり、 屋根の棟数が多いことを特徴とする権現造
社殿(拝殿)外と内部
拝殿の木組、壁には極彩色の画が描かれている。 |
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2012年03月22日
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は延べ5年近く東京近在に住んだことがあるが、残念なことに一度も見物したことがない。

