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「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ、近きほどに、八幡の宮(石清水 八幡宮)と申すは かしこにても参り祈り申したまひし松浦 筥崎同じ社なり。 かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき、今都に帰りて、かくなむ御験を得て、 まかり上りたると、早く申したまへ」とて八幡に詣でさせたてまつる。(紫式部「源氏物語」玉鬘) 石清水八幡宮は朝廷の崇敬が篤く、天元2年(979)円融天皇が参拝以来、天皇・上皇の参拝は240回以上を数 えるという。 当然のことながら、ここ石清水八幡宮は、源氏物語を始めとする古典文学にも度々登場している。 冒頭の文章は、18年振りに筑紫からやっと京に戻った「玉鬘」一行が寄る辺も無いので途方にくれる。 そこで加護を得ようと、石清水八幡宮に参拝しようとする場面である。 これが切っ掛けで、長谷寺に参篭し、玉蔓の運命が開けてゆくことになる。 このように信仰篤い社だけあって、本宮社殿のまわりには、多くの摂社、末社などが取り囲んでいた。 図書に掲載の、鎌倉時代に描かれた「一遍上人絵伝」(国宝)を詳細に見ると、石清水八幡宮の本殿や背後 の摂社などは現在地と変わっていない。 このように、多くは古くから鎮座し、その社殿は重要文化財の指定を受けている。 (お社に祀る神様や御神徳は、一々記さないので石清水八幡宮の公式HPを参照のこと。) 天喜3年(1055)鎮座 三間板宮造 重文 築垣内の西総門近くに位置する。 築垣内の西北に並ぶ 校倉は元経蔵で何時の頃からか校倉になった。 住吉社は貞観11年(869)鎮座 一間社流造 重文 一童社は鎮座年代不詳 一間社板宮造 建久2年(1191)鎮座 北総門の右近くに位置する。 どちらも貞観11年(869)鎮座、入母屋流造 築垣内の東北に位置する 左方の丹塗りの建物は本宮回廊 「若宮社」(左)、「若宮殿社(右)の社殿上部 どちらも極彩色の彫刻が随所に施されている。 気比社は永正2年(1505)鎮座 一間社板宮造 水若社は貞観11年(869)鎮座 一間社流造 重文 若宮殿社の右前に位置する。 |
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2012年04月01日
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