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離宮八幡宮は、JR山崎駅の直ぐ近くにあった。 駅舎を背にして駅入口で立つと、右手にこんもりとした杜が見える。そこが離宮八幡宮だった。 駅からは東門が近いが、南面に徳川家光が再建した風格ある惣門があった。 境内に入ると、北側に中門、社殿が建ち、西側に摂社・末社などが鎮座していた。 平安時代の初めの頃の貞観元年(859)、清和天皇が太陽が我が身に宿る夢を御覧になった時のお告げ により、九州の宇佐八幡宮から神霊を奉じて帰郷した僧・行教が山崎津で夜の山に霊光を見た。 そこでこの地を掘ると岩間に清水が湧出したので、ここに「石清水」の八幡宮を創建した。 丁度そこが嵯峨天皇の離宮「河陽宮」の地だった。 その後、対岸の男山にも分祀され、以後そちらが「石清水八幡宮」と称されるようになり、 こちらは「離宮八幡宮」と号するようになった。 かっては、水無瀬川より、円明寺に及ぶ広大な神領を有し、江戸時代には「西の日光」といわれる程の壮 麗優美な社殿を構えていた。 しかし、幕末の元治元年(1864)禁門の変では長州藩屯所となった為、惣門、東門を除き、全て兵火で焼失 した。 更に、明治4年(1871)境内北側に東海道線が敷設され、境内は大幅に縮小した。 しかし、明治12年(1879)社殿が再興され、昭和4年(1929)改築され、現在に至っている。 JR山崎駅から一番近い。 延宝年間(1673〜1680)に建立されたと考えられている薬医門。 寛延12年(1635)三代将軍徳川家光によって再興された。 鳥居の奥には神門、拝殿及び本殿が建つ。 神門の右前には「河陽宮故址碑」、「本邦製油発祥地碑」や油祖像が建つ。 祭神は 応神天皇 姫三神:田心姫命(タギリヒメノミコト)、 市杵島姫命(イチキシマノミコト) 湍津姫命(タギツヒメノミコト) 酒解(サカトケ)大神(又は 大山祇命) 淀川という大河の北、即ち陽の当たる所にあると言うことから 嵯峨天皇の離宮が河陽の宮と称せられた。 寛永11年(1634)勝龍寺城主永井日向守が幕府の命で当社社殿を造営した時、記念として奉献したもの。 行教が奉じた神霊を最初にここに鎮座した切っ掛けになった泉。 男山に創建された石清水八幡宮の名の由来がこの泉に由るそうだ。 |
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