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堂宇、石碑などを見ながら、ほぼ満開の桜が咲く粉河寺参道をぶらりぶらり歩く。 やがて、中門に来た。 中門は3間1戸の楼門で、軒周りまで良質の欅造りである。 表裏に2体ずつ、計4体の四天王像を安置しているが四天王の内どれがどれだか分らない。 そんなことを思わず口に出してぼやいたら、シルバーボランティアのガイドさんではない、知らないおじ さんが、是は多聞天で、そちらは広目天・・・と言う風に教えてくださった。 境内には、牧水、芭蕉などの、詩碑、句碑等が立っていたが、江戸時代初めこの地方を開発した大畑才蔵 を顕彰する「大畑才蔵彰功乃碑」に見入った。 全国的には知られないが、その地方地方に、功績をあげている人が居られることを改めて知った。 中門近くの四角い放生池の中では、亀がのどかに甲羅干しをしていた。 中 門 天保3年(1832)建立、重文、四天王を表裏に夫々左右に安置 中門中央に掲げる「風猛山(フウモンサン)」の扁額は紀州十代藩主徳川治宝(ハルトミ)の直筆
四天王像
左から、多聞天(表左)、広目天(表右)、増長天(裏左)、持国天(裏右)と、見知らぬ人に教えていただいた。大畑才蔵は農民だったが、高い技術力を買われ、55歳の時に紀州藩に仕え種々の仕事をした。 「和歌山の北部に長い水路が二本平行して流れています。一つは小田井、もう一つは藤崎井と言います。」で始まるこの碑文には江戸時代の早い時期に、これらの水路を造り、橋本市から和歌山市の間に広がる水田地帯を開発した大畑才蔵翁の功績を称え、後世に伝えてほしいと言うことが書かれている。 放生池 亀がのんびりと甲羅干しをする放生池からは桜の花越しに本堂の屋根が見える。 |
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2012年04月14日
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