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長岡宮遺跡朝堂院公園から西に150mほど歩くと、南北に通る西国街道にであった。 その角に石塔寺という日蓮宗のお寺が建っていた。 門前の説明板によれば、 このお寺は鎌倉時代末の延慶3年(1310)開山日像上人が現在の場所に題目石塔を建立し、 文中年間(1469〜87)にこの石塔の傍らに建てた堂宇を本堂としたのが始まりと伝えられている。 寛文年間には独立本山に成長し、その末寺は近畿一円に総数33ケ寺に達した。 現在でも周辺に、御塔屋敷、御塔下、御塔道などの地名を残す大寺だったようである。 日像上人については、近くに所縁の寺院南・北真経寺があり、門前の西国街道を300m北に 日像上人が説法したという説法石があった。 ところで石塔寺周辺は、寺が建立時から650年ほど前の長岡京時代(784〜794)は都の中心地で、造営長官 で桓武天皇の腹心・藤原種継が,延暦4年(785)9月暗殺された場所だそうだ。 中納言兼式部卿近江按察使藤原種継、賊に襲い射れ、両箭身を貫きて薨ず(「日本紀略」延暦四年 九月乙卯の条)とあるから射殺されたのだろう。 これが切っ掛けで、皇太弟・早良親王が叛逆を疑われ、淡路島流刑になった。 早良親王は無実を主張し、移送途中抗議して絶食し憤死した。 その後、疫病流行、洪水などの災害発生し、それが早良親王の怨霊の祟りと看做され平安京遷都の一因と なったと言われている。 しかし、石塔寺の廻りを見渡してもその様なことを伝えるものは全くなかった。 山号が法性山、本尊は十界曼荼羅 石塔寺境内 毎年5月に行われる鶏冠井題目踊(カイデダイモクオドリ)は京都府の無形民俗文化財の指定を受けている。 説法石 石塔寺門前の西国街道を北(京都方向)に約300m向日神社参道入口にあった。 徳治2年(1307)5月日像上人がこの石に於いて法華経を読誦し説法したところ |
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2012年09月25日
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