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南北に貫く西国街道を北に歩くと、左手に向日神社の鳥居と西に延びる参道があった。 石畳で綺麗に舗装された緩やかな傾斜の参道を約200m上ると舞楽殿その奥に社殿が建っていた。 社殿は透塀を囲んで本殿覆屋があり、幣殿、拝殿と連結して権現造のような一連の建物を呈している。 本殿は重文に指定されており、明治神宮本殿はここをモデルに1.5倍尺で建てられたという。 神社の創建は、養老2年(718)六人部(ムトベ)氏が当地を賜ったことに始まった始まったと言われる。 向日神社は「延喜式」神明帳に記載された式内社で、「向神社」と称されていた。 「向日神社略記」によれば、後に乙訓坐火雷神社を併祭して現在に至っているという。 この両神社は同じ向日山に鎮座されたので、後世、向神社を上ノ社と呼び「五穀豊穣の神」、火雷神社を 下ノ神と呼び「祈雨・鎮火の神」として、朝廷の崇敬の篤い神社であったことが古書に数多く見られるそ うである。 中世には一揆の集結地に使われるなど、農民連帯の中心になった。 当社の神官・六人部(ムトベ)氏は平安時代以来の由緒を伝える家系で、特に幕末に出た六人部是香(ムトベヨシカ) は有名である。 六人部是香は平田篤胤に師事し、多数の書を著した国学者、倒幕運動の一翼を担っていた。 京の情勢を窺うに便利な六人部家には坂本龍馬や中岡慎太郎も立ち寄ったと言われている。 写真には写っていないが、向って左に説法石がある。 石畳で綺麗に舗装された緩やかな上り道 両脇にサクラが植えられており、シーズンになれば美しいだろう。 参道の突き当たり、社殿の前に建つ 祭神:向日神(ムカヒノカミ) 火雷神(ホノイカヅチノカミ) 玉依姫命(タマヨリヒメノミコト) 神武天皇 本殿は三間社流造で、創建年代の分る室町時代の代表的神社建築。重要文化財 棟札によれば、本殿は応永25年(1418)より4年の歳月かけて再建されたもので、造営には向日市内外の7ヶ村の共同事業として行ったことを記している。 初め南面であったが、天保2年(1831)〜天保14年(1842)にかけて東向きに建替えられた。 拝殿の向拝の蟇股に三つ葉葵の紋が飾られていた。 Dさんによれば、三代将軍徳川家光の側室で、5代将軍綱吉の生母である桂昌院が社殿の修復に尽力した為、と説明してくれた。 ただし、この説の(存在の)真偽は確かめていない。 勝山公園に向う途中の林の中の岩屋に安置してあった。 安永6年(1777)洛西物集女(モズクメ)村信徒の発願のより彫られた。 同村の勝池桜井上に祀られていたのを移したものとのこと。 元稲荷古墳 向日神社北裏の勝山公園内にある古墳で、京都府最古級の前方後方墳。 今までの調査で、刀剣や槍、斧などの副葬品が発見された。 現在も発掘調査が行われていた。 |
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2012年09月30日
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