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春日の森を過ぎると程なくして住宅街の中に閑静なただずまいを見せる新薬師寺に着いた。 南門から境内に入る。 正面奥に国宝の本堂が、それに向って右側(東側)に東門、が建っていた。 その他境内には鐘楼、地蔵堂、十三重の塔が建ち、西南隅には石仏群が置かれてあった。 また、西奥には大正6年(1917)建てられた香薬師堂があった。 観光客が向うのは、正面の本堂、特に中に安置する本尊薬師如来像とそれを囲む十二神将であった。 新薬師寺は天平19年(747)聖武天皇の眼病平癒を願い、光明皇后が建立したという。 新薬師寺の名は、薬師寺に対するものとされるが、霊験が「あらたか」という意味があるといわれる。 創建期には敷地は現在の8倍以上あり東西両塔を揃えた七堂伽藍であったといわれる。 しかし、平安時代の応和2年(962)の大風により金堂を初め諸堂が倒れ、その後衰退して行った。 鎌倉時代にはには明恵上人が住したといわれ、その頃現在の本堂を中心に整備され、南門、鐘楼、地蔵堂 等が建立され、ほぼ現在の寺観になったという。 平安末〜鎌倉初期の築の四脚門 重文 平安・鎌倉時代の社寺や貴族の住宅に用いられた棟門の姿を今にとどめている。 鎌倉後期築の四脚門 重文 新薬師寺の表門 本 堂 奈良時代建立 国宝、天井が張られていないので、内部に入ると建物の骨組みが直に見ることが出来る。 本堂に入ると大きな円形の土檀があり、中央に本尊薬師如来坐像(奈良〜平安初期 国宝 像高191cm)それを取り囲むように十二神将立像(奈良時代 国宝、一体は補作)立つ。 本尊の薬師如来は木目の美しさを出す木地仕上げ、眉間には白毫が無い、目は大きく見開いた大きな目であった。後世眼病に効験有るとの伝承を生んだ。 和辻哲郎は「古寺巡礼」で、木彫でこれほどこれほど堂々した作はちょっと他にはないと思う。 全体が一本の木できざまれているというばかりでなく、作全体が非常に緊密な統一が感じられる。 と絶賛しているが, 亀井勝一郎は、眼病平癒を記念するため、とくにその眼は大きく創られてある。まるで異人のようだ。 半眼に宿る仏願の深さはない。・・・・霊験を人為的に誇張するのは、信心のゆかしさとは云えまい。 (亀井勝一郎「大和古寺風物詩」新薬師寺)と辛口批評をしている。 鎌倉時代建立 重文 南門に入って右側 袴腰が漆喰塗り 掛っている梵鐘は奈良時代、重文 鎌倉時代建立 重文 本堂の前方向って左側に位置する 一間四方の小さなお堂 本堂の前方向って左側に位置する 石仏群 本堂の向って左手に建つ ちかづきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも あらぬさびしさ |
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2012年10月13日
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