ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

最近には珍しい快晴の日、Bさんたちに誘われて、大阪湾の入り口にある友が島に行ってきた。
 
友が島は沖ノ島、地ノ島、神島、虎島からなり、厳密に言えば、その内の沖ノ島へいってきた。
 
和歌山市の西・加太港から渡し船で約20分、13時20分頃友が島(沖ノ島野奈浦桟橋に着いた。
 
沖ノ島は周囲約6.5㎞の無人島であるが、第二次大戦終了まで軍事要塞で、一般人は立ち入り禁止になっていた島だ。
 
戦後砲台などは破壊されたが軍事施設跡は残っており、土木学会選奨土木遺産に選ばれるなど近年再び注目されている。
 
ここから観光案内人の案内で、島の南半分約3.5㎞の散策コースを回った。
 
 
イメージ 1沖ノ島野奈浦桟橋
右手奥の小さな島は神島
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2要塞砲弾
桟橋近くに置かれてあった。
友が島第3・第4砲台に配備されていた8インチ砲の砲弾。
右の標柱には「由良要塞□□標識」「陸軍省明治32年8月」と刻んであった。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
第二砲台跡遠望
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
第二砲台跡
危険なため立ち入り禁止
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
第一砲台へのトンネル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6
VOR(超音波全方位式無線標識)
山の頂上に築かれている現用の航空機用無線標識
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7子午線広場
友が島灯台近くの広場
ここを東経135度の日本標準時子午線が通る
背後の島影は淡路島
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8イメージ 9
                                                                                                友が島灯台と銘板
明治3年(1870)リチャード・ヘンリー・ブラントンという英国人技師により着工、明治5年(1872)竣工点灯した。日本で8番目にできた洋風の灯台。
その後、灯台建設地一帯が軍事要塞地帯となり、砲台築造のため明治23年(1892)東側に移設した。
紀淡海峡を航行する船舶の「みちしるべ」としての大切な役割を今なお果たしている。
昭和55年(1980)改築しているがほぼ原形通りに保存しており、明治の洋風建築として数少ないものの一つである。
平成20年(2008)「近代化産業遺産」に指定

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事