ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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国道161号を長安寺前から南に向かう。

IR東海道本線を渡りほどなくして関蝉丸神社下社に着いた。

関蝉丸神社の社標と共に「音曲芸道祖神」の標柱が建っている。

参道入り口には京阪大津線が横切っている。

線路を渡ると、蝉丸の歌碑が建ち、参道を進みと、右手に関の清水と貫之の歌碑が建っていた。

参道の突き当りは拝殿となっており、その奥に口型の回廊に囲まれた本殿が建っていた。

関蝉丸神社は、弘仁13年(822)小野岑守が逢坂山の山上と山下に坂神として、山上の上社には猿田彦命、

山下の下社には豊玉姫命を祀った。

平安中期琵琶法師蝉丸が逢坂山に住み没したことから、天慶6年(943)蝉丸霊を合祀した。

天禄2年(971)円融天皇より綸旨を下賜され、以後音曲芸道祖神として信仰され、当神社の免許を受けるこ

ととされた。

なお、関神社上社は下社から600m南の国道1号(国道161号は300mほど南で国道1号に合流する)沿いに

鎮座していた。

ところで、蝉丸という人物については徳林庵の稿で述べたので重複するところは略して知るところを記す。

蝉丸は生没等伝記は不詳であるが 「後撰和歌集」(雑一)に

 
あふ坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに 行きかふ人を見て     

    これやこの 行くも帰るも わかれつつ 知るも知らぬも あふ坂の関
    
     (百人一首では、第三句が「わかれては」となっている。)

と採用され、小倉百人一首にも取り上げられて、有名な和歌の作者であることでも知られている。


今昔物語では巻二十四の中の「源博雅の朝臣会坂の盲の許に行く語」に蝉丸が登場する。

会坂(アフサカ)の関に一人の盲庵を造て住けり。名をば蝉丸とぞ云ける

此れは淳実(アツミ 淳実親王)と申しける式部卿の宮の雑色にてなむ有ける

其の宮宇多法皇の御子にて、管弦の道に極まりける人なり

年来琵琶を弾く給ひえるを常に聞て、蝉丸琵琶をなむ微妙に弾く

その蝉丸に、源博雅という琵琶の上手が伝授を願ったが、名人の常として、気難しく、乞食のよう

に落ちぶれていてもなかなか教えてくれないので、蝉丸のもとへ3年間通いつめて、蝉丸から秘曲「流

泉」、「啄木」を伝授されたという説話が載っている。


およそ100年後の「平家物語」(巻第十 海道下り)にも取り上げられている。

四の宮河原になりぬれば、ここは昔延喜第四の皇子蝉丸の、関の嵐に心をすまし、琵琶を弾き

給ひしに、博雅の三位といひし人、風の吹く日も吹かぬ日も、雨の降る夜も降らぬ日も,三年が間

あゆみをはこびたち聞きて、彼三曲を伝えけむ、藁屋の床のいにしへも、思ひやられ哀れなり。 

この様に、ここでは蝉丸は延喜帝(醍醐天皇)第四皇子が世を忍ぶ姿に格上げされいる。


これらを受けた形で世阿弥が謡曲「蝉丸」という作品に仕上げている。

謡曲「蝉丸」の筋は次の様だ。

延喜帝の第四皇子、蝉丸の宮は生まれつきの盲目であったた。父帝は宮の後世を救おうと、廷臣・清貫(キヨ

ツラ)に宮を逢坂山に捨て、僧形にするよう命じた。

清貫は悲しむが、蝉丸は、これは父の慈悲だと恨まず受け入れた。

清貫が去り、逢坂山に一人残ると、蝉丸もさすがに寂しく琵琶を抱いて泣き伏すのだった。

やがて博雅三位がやって来て、蝉丸を慰め、藁屋を作りその中へ入れて帰っていった。

一方、延喜帝の第三皇女で蝉丸の姉宮・逆髪(サカガミ)は、心が狂乱し、髪も逆立っている。

彼女は彷徨い出て、いつしか逢坂山へとやって来た。

すると、近くの藁屋から美しい琵琶の音が聞こえてきた。それに惹かれて訪れると、弾いていたのは、な

んと弟宮・蝉丸であった。

姉弟宮は互いに定め無き運命を、宿縁の因果と嘆き合い、慰め合う。

やがて名残を惜しみつつも姉宮・逆髪はいずこへともなく去って行き、弟宮の蝉丸は見えぬ目でいつまで

も見送るのであった。

なお、逆神=坂神で、蝉丸と共に、関蝉丸神社に祀られている神様である。

                               
因みに、Cさんによると、蝉丸の墓が福井県越前町にあるそうだ。

丹生山地の蝉口盆地の西に小さな琵琶形の塚状盛土があり、五輪塔と宝篋印塔の合わせたような石塔が

3基並んでいて、その内の一つが蝉丸の墓と伝わるものだった、とのことだった。


イメージ 1 イメージ 2
                            関蝉丸神社下社社頭
関蝉丸神社の社標と共に「音曲芸道祖神」の標柱が建っている
参道入り口には京阪大津線が横切っている
旧社名:関清水大明神蝉丸宮




イメージ 3蝉丸歌碑
これやこの ゆくもかへるも      別れては しるもしらぬも     あふ坂の関
                       蝉 丸




イメージ 4

                                関の清水
逢坂の 関の清水に かげ見えて 今やひくらん 望月の駒
                                                      紀貫之(「拾遺和歌集」)




イメージ 5拝殿
参道の突き当りに拝殿が建ち、その奥に本殿が建つ





イメージ 6

                                 本 殿
祭神:豊玉姫命   相殿:猿丸霊
口型の回廊に囲まれた中に本殿が建っていた



イメージ 7

                                 時雨燈籠
本殿の向かって左隣に建っていた石灯籠   
側の説明板には次のような内容が記されていた。
「石燈籠(時雨燈籠)蝉丸型 重文 
時雨燈籠の名称で知られる石灯籠 六角形の基礎の上に単弁の蓮華座を彫、その上に立つ竿の中ほどに蓮華と珠紋帯をつくり、六角形の中台には花入単弁の蓮華が彫られている。 
六角形の火袋は簡素なもので、火口を一ケ所と小さな丸窓を設け、壁面も上部にだけ連子を彫っている。
六角形の笠も薄く蕨手(ワラビテ)はよく古式をとどめている。
最上部の宝珠と請花は後補。
作成年代を示す銘文はないが、様式上鎌倉時代の特色をもった、よい石灯籠である。」
なぜ時雨燈籠と呼ばれるのか? わからない



イメージ 8小町塚
本殿に向かって右脇道を上っていくと建っていた。
小町塚は読めたが、後は何が彫ってあるのかわからなかった。
一説によると小野小町は逢坂山で晩年を送ったと言われ、謡曲「関寺小町」が創られている。





イメージ 9

                                関蝉丸神社上社
下社から600m南の国道1号(国道161号は300mほど南で国道1号に合流する)沿いに鎮座
祭神:猿田彦命    相殿:蝉丸霊       旧社名:関大明神蝉丸宮

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