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JR京都駅南側の八条口から八条通りを西に向かって歩く。 近鉄線の高架をくぐり、東寺の北総門(重文)の前を過ぎ、八条壬生の西北角に、清和源氏ゆかりの神社・ 六孫王(ロクソンオウ)神社が鎮座していた。 此の神社は清和源氏の祖と仰がれる源経基(ミナモトノツネモト)の邸宅があった場所で、その子源満仲(ミナモトノミツナカ) が応和3年(963)に経基を埋葬し社殿を建てたのが始まりという。 その後、いつしか荒廃していたものを、元禄13年(1700)北隣りの遍照心院(別名 大通院)の南谷上人が 幕府に請うて再建し、遍照心院の鎮守社とした。 明治になり、神仏分離令により分離し現在に至っている。 なお、遍照心院(別名 大通院)は東海道線敷設により、九条大宮に移築された。 境内には西端に(立ち入りができないが)経基埋葬したと言われる石の基壇があり、その前に社殿が建って いた。 社殿の前の参道には池と石橋が架かっており、桜が植えられていたが、まだ、裸だった。 神門前には大名から寄進された石灯篭がおかれてあり、武家の信仰が篤かったことを偲ばせた。 参道の北側には満仲の産湯に使った井戸の上に祀られたという誕生水弁財天があった。 大きく「清和源氏発祥の宮」と記した看板が立っていた。 正面に社殿が建ち、右手に弁財天があった。 境内の桜は裸だった。 左右の回廊は工事中で、左側は素屋根に覆われていた。 源経基を祀り、相殿に天照大神、八幡大神を合祀している。 背後に、神廟と言われる石の基壇があり、 経基の遺骸を納めた場所と言われる。 大名奉納石燈籠 松平吉保(左)、佐竹義峰(右)と源氏ゆかりの大名が奉納した石燈籠が神門近くに置かれていた。 弁天堂 満仲誕生の際、産湯に使われた井戸の上に、弘法大師作といわれる弁財天像が祀られ、「誕生水弁財天」と言われる。 昔から、幼児の守護神として、また無病息災の守り神として信仰されている。 6月13日に弁財天ご開帳祭が行われる。 左写真で、背後に見える高架線は東海道新幹線。 源経基は清和天皇の第六皇子・貞純親王の王子で「六孫王(ロクソンオウ)」と呼ばれた。 武蔵介として武蔵国に下向した際、任地で足立郡司と衝突して帰京し、平将門を謀反として朝廷に報告し た。 一時経基の誣告とされたが、その年に将門が謀反の兵を挙げたので、一転して第一報者となり、乱の鎮圧 に加わった。 次いで、藤原純友の乱の鎮圧にも参加した。 その後、信濃、伊予などの国司を歴任し、鎮守府将軍になった。 応和元年(961)死去 享年64(諸説有) 後世清和源氏の祖と仰がれているが、その武力は未熟だったと言われ「介経基は未だ兵の道に練れず、 驚き愕いで分散す」と「将門記」に記されている。
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