|
長浜から3駅目のJR高月駅で下車した。 湖東、湖北といわれる地域には、地元民の懸命な努力によって、兵火を幾度となく潜り抜け護られてきた 観音像が多くある地域として知られている。 中でも、湖北の(長浜市)高月町は、観音の里として数多くの優れた観音像などの仏像を伝えている。 一部でも拝観しようと思い、足を運んだのであった。 JR高月駅前の「高月総合案内所」で、拝観方法、道順、などを教えてもらい、レンタルサイクルで回るこ とにした。 まず、近くの高月観音堂(慈眼山大円寺)に行くことにした。 この辺りでは一部を除き、常住の管理人が居ない為、事前に夫々の管理人に連絡し開扉をお願いする。 案内所で連絡しておいたので、高月観音堂へ行くと既に管理人が待っており、観音堂の扉を開けてくださ った。 頂いたパンフレットによれば、延暦6年(767)伝教大師最澄が十一面千手救世観世音菩薩像を彫り、七堂伽藍を 建立した。 以後寺勢は大きく隆盛し、その様子は「尊殿は新たに金銀をちりばめ、珠玉を飾り、十二の僧坊を連ね て、堂内には香花や灯燭厳かに、経典読誦の声は絶えることはなく、境内では多くの鳥がさえずり、 また鐘や鼓の音もにぎやかに、空には紫金の雲が浮かんで、庭には水練の砂を敷き、池には紅白の魚を 放流し、かどには上下の馬車、東西の路次のすみずみまで、好士勤学詩歌管弦遊歴の輩、市をなすこと 昼夜を厭わず、あたかも人、山をなすがごとし」であったという。 しかし、戦国時代の度重なる兵火で荒廃し、天正11年(1583)賤ヶ岳の合戦の際、悉く焼失した。 翌12年(1584)一人の村民が観音菩薩の夢告を受け、新たに一堂を再建し、兵火から護った大悲観音を安置 し、村民一体となって護持してきた、という。 本尊の十一面千手観音(大悲観音)像以外にも仏様(中には神像も)を祀っていた。 撮影の許可がいただけたのでそれらを向って左順に撮らしていただいた。合掌 江州伊香三十三観音霊場第七番札所
昔村内の栗原坊の本尊だったと伝えられている。 伝伝教大師最澄作と言うが、構造作風から見て 室町時代頃の作と考えられている。 兵火に遭った時、自ら火難を逃れ、石の上に立ち光輝いたと言われる。 「大悲観音」とも呼ばれる、大慈大悲の有難い観音様であるが、 特に、火災から人々を護る御利益の「火除けの観音様」でもある。 昔村内の円通寺の本尊で、京都鞍馬寺の毘沙門天像の分身と伝えられている。 江戸時代 村人が本尊の脇侍として奉納したといわれている。 江戸時代 村人が本尊の脇侍として奉納したといわれている。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2012年08月26日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



