ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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北陸の天気予報では「曇時々雪」になっていたので、雪の兼六園とか東茶屋街を見物するの

を楽しみにし、またその用意をわざわざして出て来た。

しかし、来てみると小雨が時折降るくらいで小松、金沢一帯は雪がなかった。

地元の人たちのご苦労を考えたら申し訳ないが、少しがっかりした。

そこで小松と金沢の中間地点の加賀笠間で下車した。

駅から海側に6分ほど歩くと笠間神社が鎮座していた。

一見極ありふれた村の神社という感じである。

霊験あらたかな大宮比弯世鱆る神社で、かっては正三位笠間大明神と言われ、広大な神域を持っていた

様だが今は1、800坪程度とか。

境内前に100mほどの参道が延びていて、ここに目当ての二つのものがあった。

一つは入り口近くにある木曽義仲の「弓掘り井戸」、そして、二つ目は参道の中央に逆八の字型に立つ

石柱の「八字鳥居」である。

それぞれ面白い伝説が残されている。

こんな時期に、わざわざこのために訪れる物好きはいないらしく、参道やその先の神社境内には全く

人気がなかった。

イメージ 1 笠間神社参道
笠間神社は笠間郷一村の総社
かっては、正三位笠間大明神と称えられていた。



イメージ 3 義仲弓掘りの井戸
参道の向かって右脇に玉垣に囲まれてあった。
寿永2年(1183)平家軍追撃する義仲軍は手取川増水のために渡ることができず、当社に減水を祈願した。
付近の老婆が差し出した煎餅で空腹を満たそうとしたが水が無いので、義仲は弓筈でこの地を掘ったら清水が湧き出て直ちに飢えを凌いだ。
一方川は霊験高い神のご加護にて何時しか減水し、若い美女が苦もなく渡っていくのを見て、義仲はこれぞ神の導きなるぞと喜び勇んで渡ったという。



イメージ 2 八字鳥居
永正年間(1504〜21)倉光村に善右衛門という力持ちの馬子がいた。彼は更に大力の持ち主になろうと霊験あらたかな笠間神社に毎夜祈願し、百夜の満願を果たした時、大宮比弯世現れ百人力を与えた。
善右衛門が帰ろうとすると、足は大地にめり込んで歩けず、善右衛門は困り果て、神に助けを願ったところ、百人力ではなく「敵一倍」の力を授けた。
その後、不思議な力持ちとしてその名は広まった。
善右衛門は敵一倍の力を授かった御礼に石の鳥居を建立しようとするが、なかなか建てられない。
そこへ、いつの間にか現れた少女に手伝ってもらってやっと建ったが、何程もなく崩れ落ち、二本の柱が地中深くめり込みは八字型となって残った。
この鳥居がそれである。
その後、当社には石の鳥居は神意にかなわないと語り伝えられている。



イメージ 4 笠間神社
境内入り口には銅板張鳥居が建ち、その奥に拝殿、本殿が建つ。
主神は大宮比弯澄∩蠹造暴撒隼袷安膺澄八幡大神が祀られている。
廃社された末社から少彦名大神を合祀している。

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