ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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奇岩遊仙境の右端中腹に本尊を安置する岩屋本殿(大悲閣)がある。

参拝のため、まず麓の中門をくぐる。

真直ぐ上に延びた石段があり、手前の左手に不動明王が立ちその前に清水が湧き出している井戸があっ

た。

石段を上り、岩壁中腹に建てられた大悲閣に入る。

大悲閣は拝殿、唐門、本殿からなり、拝殿は岩窟の外、京都清水寺の様な舞台造りに造られている。

その奥、岩窟の入り口に、唐門が建つ。

本殿は岩窟内の本殿が建てられており、本殿中央厨子内に本尊十一面千手観音菩薩が安置されていた。

参拝者の姿を全く見かけなかったので、他の参拝者を気にすることなくゆっくりと(意味は全く分からな

いまま呪文の様に) 「般若心経」を唱えた。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経           (ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう)
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。       (かんじざいぼさ。ぎょうじんはんにゃはらみたじ)
照見五薀皆空度一切苦厄。           (しょうけんごうんかいくうどいっさいくやく)
舍利子。色不異空。空不異色。         (しゃりし。しきふいくう。くうふいしき)
色即是空。空即是色。            (しきそくぜくう。くうそくぜしき)
受想行識亦復如是。               (じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
舍利子。是諸法空相。不生不滅。        (しゃりし。ぜしょほうくそう。ふしょうふめつ)
不垢不淨。不増不減。             (ふくふじょう。ふぞうふげん)
是故空中無色無受想行識。           (ぜこくうぢゅうむしきむじゅうそうぎょうしき)
無眼耳鼻舌身意。無色声香味觸法。     (むげんにびぜっしんに。むしきしょうこうみそくほう)
無眼界。乃至無意識界。            (むげんかい。ないしむいしきかい)
無無明。亦無無明盡。             (むむみょう。やくむむみょうじん)
乃至無老死亦無老死盡。            (ないしむろうしやくむろしじん)
無苦集滅道。無智亦無得。           (むくじゅうまつどう。むちやくむとく)
以無所得故。菩提薩埵。            (いむしょとっこ。ぼだいさった)
依般若波羅蜜多故。              (えはんにゃはらみたこ)
心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。        (しんむけげ。むけげこ。むうくふ)
遠離一切。顛倒夢想。究竟涅槃。        (おんりいっさい。てんどうむそう。くぎょうねはん)
三世諸佛。依股若波羅蜜多故。         (さんぜしょぶつ。えはんにゃはらみらこ)
得阿耨多羅三藐三菩提。            (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
故知般若波羅蜜多。是大神呪。         (こちはんにゃはらみた。ぜだいじんしゅ)
是大明呪。是無上呪。是無等等呪。     (ぜだいみょうしゅ。ぜむじょうしゅ。ぜむとうどうしゅ)
能除一切苦。真実不虛。            (のうじょいっさいく。しんじつふこ)
故說股若波羅蜜多呪。即說呪曰。        (こせつはんにゃならみたしゅ。そくせつしゅわつ)
揭諦揭諦 般羅揭諦              (ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい) 
般羅僧揭諦 菩提莎婆呵            (はらそうぎゃてい ぼじそわか)
般若心経                   (はんにゃしんぎょう)

唱えると、不思議なことに、病気平癒、家族安穏と言った個人的なことより、東北の早期復興、福島原発

の早期収束と言った世間の平安を願う気持ちが強くなっていた。
色にのみ 染めし心の 悔しきを むなしと説ける 法のうれしさ
                                         小侍従(「新古今和歌集」巻第二十 釈教歌)

この後、本殿の周りを巡る「胎内めぐり」を行い、俗世の汚れに染まりきった心と体を洗い去り、生まれ

変わった気分で外に出た。

前稿で記したように、那谷寺は養老元年(717)泰澄が洞窟に十一面千手観音観音像を安置し、岩屋寺と名

付けたのが始まりである。

その後、寛和2年(986)西国33か所を開いた花山法皇がおいでになり、洞窟内の観音様を拝され、「これ全

く観音妙智力の示現なり、朕が求る33か所はすべてこの山にあり」と言われ、西国33か所第一番紀伊国

那智山(青岸渡寺)と、第三十三番美濃国谷汲山(華厳寺)の各一字を取って那谷寺と改め、七堂伽藍を

造営した。それ故、花山法皇は中興の祖とされている。

往時には250ケ坊に及ぶ隆盛を極めたが、南北朝争乱時の延元3年(1338)足利方が那谷寺に陣を張った

ため、新田義貞によって、また戦国時代の文明6年(1478)一向一揆により堂宇が焼き尽くされる等度々の

兵火により衰退した。

現状の様に復興されたのは、江戸時代に入り、加賀藩三代藩主前田利常(トシツネ)の時であった。



イメージ 1中門





イメージ 2不動明王
念じて運気が増す。
前の井戸の清水は枯れたことない。
買った腕輪念珠にこの清水をかけるとさらに運気が増すそうだ。





イメージ 3

                                 大悲閣
寛永年間再建  重文   拝殿(岩窟外)、唐門(岩窟入り口)、本殿(岩窟中)からなる
本尊:十一面千手観音
この山を たづねて法の 皇も 重きちかひの 石やたてけん





イメージ 4

                            大悲閣への階段からの眺望
向いの山腹に立つ赤い建物は鎮守堂、麓に雪吊りが美しい境内が望まれる。
下に見える門は中門。

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