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宝積寺(ホウシャクジ)裏手から山道の天王山頂上を目指すハイキング道に入った。 しばらく上っていると視界が開け、青木葉展望台に着いた。 ここからは、桂川、宇治川、木津川の三川が合流して大淀川となって流れてゆく、東から南方向の風景が 望まれた。 石清水八幡宮が鎮座する男山も望まれるが、写真を撮るには木々で邪魔された。 少し先に進むと、旗立松、山崎合戦之地碑、酒解神社の石鳥居がある所へ来た。 これから先は酒解神社の境内に入るのであろうか? ここからは眼下といった感じで、東に男山が眺められ、手前には大淀川となる前の桂川、宇治川、木津川 がゆったりと流れていた。 空には雲が広がっているが、程よい感じの淡い日差しがある。 ここでしばらく他のハイカーと共に眼下の景色を眺めていた。 この辺りは羽柴(豊臣)秀吉が天下取りの足掛かりをつかんだ「山崎の合戦」の場所である。 天正10年(1582)6月2日京都本能寺に宿泊していた織田信長は、家臣の明智光秀に急襲され自刃した。 信長死去の知らせは、備中高松城(城主清水宗治)を攻略中の羽柴秀吉の元にも届いた。 秀吉は急ぎ毛利氏と和を結び京に向い、6月12日には山崎街道に入った。 一方、明智光秀は秀吉の帰洛に備え、御坊塚に本陣を敷いた。 6月13日夕刻天下分け目の天王山の戦い(山崎合戦)の火ぶたが切って落とされた。 羽柴秀吉は天王山に駆け上り、味方の士気を高めるために松の木高く軍旗を掲げた(旗立松)。 これを見た羽柴軍は一気に敵陣内に攻め、明智軍はその結果防戦一方になり総崩れになってしまった。 これによって光秀は僅かな手勢を従えて近江に落ちていくのである。 青木葉谷展望台から 現在の旗立松は、国体開催を機に植樹された5代目 ここから先は、周囲に樹木が生い茂る山道だった。 鳥居からの眺望 桂川、宇治川、木津川の3川を挟んで、男山が正面眼下に眺められる。 3川はすぐ南で合流して淀川となり大阪湾へそそぐ。 |
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2013年03月25日
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