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天王山頂上(標高270.4m)から途中まで、上ってきた時と同じルートを辿って下る。 旗立松を過ぎたところで、案内標識に従って左手に折れ、「山崎聖天」の名で親しまれている観音寺 境内の裏へ出た。 観音寺は、真言宗の寺で、開基は宇多法皇と伝わる。 寺伝によると、平安時代の昌泰2年(899)宇多法皇の御願寺として創建されたというが明確でない。 記録上はっきりわかるのは、江戸時代前期の延宝9年(1681)摂津国勝尾寺の木食上人以空が夢告によって 当山を中興開山し、聖天堂を興して歓喜天を祀った。 それ以後、後霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、商売繁盛、家運隆昌を願う住友、鴻池、三井な ど巨大商人の信仰を集め、京都、大阪の商人の参詣を得て大いに発展した。 その時、他ならない歓喜天への信仰で、本尊の観音菩薩よりも有名になり、「山崎の聖天さん」として世 に知られた。 この様に江戸時代を通じて栄えたが、元治元年(1864)禁門の変(蛤御門の変)の兵火で一山灰燼に帰してし まった。 その後、明治23年(1890)以降順次復興され、現在の姿となった。 以上が説明板などからの知識だ。 境内を見渡すと、本堂を中心に、向かって左手に聖天堂、右手に庫裏が建っていた。 本堂前には仁王門が建ち、仁王門の前は急峻な石段となっていた。 仁王門と本堂の中ほどに青銅製の大燈籠が建っていた。 元禄10年(1697)当時大阪の豪商住友吉左衛門友信建立寄進したもの。平成7年(1995)の阪神淡路大震災に より一部が損傷したが、住友家および住友グループ各社により補修が行われたという。 天気があまり良くない所為か、参拝者の姿は少なかった。 左右に仁王像を安置している。 仁王像 本尊観音菩薩 正面に住友吉左衛門友信建立寄進した大燈籠が建つ。 大燈籠の鋳出 本堂前の大燈籠は高さ3m余の壮大なもの。 元禄3年(1690)伊予国(現在の愛媛県)で発見された別子銅山の銅で鋳造されており、鋳出し文様が見事だった。 歓喜天を祀る。 境内の桜の蕾は相当膨れていたがまだ開花していなかった。 鐘楼は聖天堂前の門の脇に建っていた。 梵鐘の梵字の鋳出に迫力があった。 |
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2013年03月27日
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