ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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大阪駅北の超高層ビル群の商業施設「グランフロント大阪」がオープンしたので、様子を見にわざわざ出かけた。
 
しかし、人手が多いのと:の身の丈に合ってない感じを受け途中で出てきてしまった。
 
少し雲が多い感じの天気であったがこのまま帰って仕舞うのは惜しいので、西行と遊女妙が歌で応酬したという旧蹟を尋ねて阪急で「上新庄」駅まで足をのばした。
 
上新庄駅から国道475号を東南に歩き、新幹線高架下を抜け、大桐(ダイドウ)5の交差点で左に折れた。
 
10分ほど歩き、市営北大桐住宅の手前の交差点付近で、右に入って40mほど先に、なかなか風情のある遊歩道があった。
 
農業用水跡地を遊歩道にしたものらしい。
流れに沿って遊歩道がつくられ、樹木が植えられ豊かな緑があった。
そして何よりも、流れにも遊歩道や花壇にもゴミ等が捨てられている様子がない。
気持ちの良い遊歩道だ。
きっと地元の皆さんが管理や手入れを怠らないためであろう。
ありがとうございます。
 
角に地蔵堂があった。
堂前の石標には「逆巻の地蔵尊」と彫られている。
 
地蔵堂の中を覗くとなかなか立派な地蔵菩薩坐像が安置されていた。
そして向かって左に、これは新しいものらしい「淀川遭難者之碑」が建っていた。
 
何か謂れがあるような地蔵尊であるが、説明板らしきものがないので手を合わせてここを立ち去った。
 
後でwebで調べたら、下流の豊里大橋付近にあった阪巻村(現在は淀川の河川敷となっている)に建立されていた地蔵尊であった。
 
その辺りは水流が激しく「逆巻の難所」として恐れられ、幾度も舟が難破し犠牲者がでた。
 
そこで、供養と航行の安全祈願のため弘化3年(1846)建立された地蔵尊だそうだ。
 
しかし、明治31年(1898)淀川の改修の際、観仏寺に移され、大正12年(1923)現在地に移されたとのことだった。
 
イメージ 1
遊歩道
大桐3丁目から5丁目にかけて約600m
旧農業用水路跡に造られている。
逆巻地蔵堂付近から南方向の眺め
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
逆巻地蔵堂
地蔵堂は昭和52年(1977)再建
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
地蔵堂内部
中央に台座をいれて1.6mの立派な地蔵尊
左に淀川逆巻遭難者の碑が建っていた。
花やお供えがあり、ごみ一つない。
日頃のお世話が行き届いていることを感じさせる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
逆巻地蔵尊
六角の台座に座し、定印を結んでいる。蓮台を入れて1.6mもある大きな石仏である。
 
明治31年(1898年)淀川改修のころ、観仏寺の住職が、緋の衣を着た僧を背負って観仏寺に着いたところ、僧が地蔵に変わっていたという夢を見た。
これは、きっと工事で動かされる地蔵がここにいたいと夢告されたのだろうと考え、観仏寺が引き取り安置した。このとき、地蔵の下から犠牲者の戒名を書いた石が、80近くも出てきたそうである。
その後、大正12年(1923)、住職の娘が地蔵が表通りに出たいと訴える夢を見て、現在の場所に安置されたという。(PeRoさんのwebより)
 

 
イメージ 5
淀川逆巻遭難者之碑
昭和63年建立
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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