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奈良から桜井市まで、大和盆地の東、青垣の山裾を南北に通じる古道がある。山の辺の道という。 は3,4回歩いたことがある。ずいぶん昔のことだ。すべて奈良・天理から桜井に南に下るものだった。 今回、三輪山に登ってみようと、桜井市側から山の辺の道に入り、北上することにした。 近鉄・桜井駅で下車し、駅でハイキング地図「てくてくまっぷー山の辺に道コース」をいただき、それを 頼りにあるいた。 GWで天気も良いので山の辺の道、あるいは三輪山周辺を散策しようという人で多かった。 大和川川岸に建っていた。 古代、この辺りは大阪湾の難波津から大和川を遡行した船便の執着として、水陸交通の要で交易の市、海柘榴市(ツバイチ)として栄え、近くに磯城瑞籬宮(シキミズカキノミヤ)、磯城嶋刺宮(シキシマノカナサシノミヤ)と言った都があった。 「日本書紀」欽明天皇13年(552)に百済の聖明王が釈迦仏、経論等を贈った事が記されており、百済の使者はこの辺りに上陸し磯城嶋刺宮に向かったとされている。 なお、磯城嶋刺宮(シキシマノカナサシノミヤ)跡碑がここより東南約300m、水道局前庭にあるそうだ。 (欽明天皇十三年)冬十月に百済の聖明王、西部(セイホウ)姫氏(キシ)達卒怒唎斯致契(ダチソチヌリシチケイ)等を遣して、釈迦佛の金銅像一躯、幡蓋若干、経論若干巻をたてまつる。 (「日本書紀」巻第十九 欽明天皇) 海柘榴市観音堂 山の辺の道に入って所の山裾にあった。地元の人々が大切にお守りしている観音様。 観音堂は近年建て替えられた様だ。中を覗くと中央壇上に2体の石仏が安置してあった。 向って左が聖観音菩薩、右が十一面観音菩薩だそうだが、遠くから眺めただけだったので良く分からなかった。 いづれも元亀(1570〜73)の銘があるとか。 街道沿いの家並みと 屋根上のお守り 道の両側には古い民家が点在する。中には土塀の瓦の先に大黒様(写真)とか鍾馗様の像を置きお守りとしていた。 古代からの交通の要所として、また長谷寺、伊勢詣での宿場町として栄えた面影が残る。 金屋の石仏 山道に入りかけた所に、喜多美術館向えに鉄筋コンクリート造りのお堂(収蔵庫)があった。 中には2体の石仏が安置されている。 これが金屋の石仏で、左が弥勒菩薩、右が釈迦如来と推定されている。 仏像は高さ2.2m、幅0.8mの2枚の粘板岩に浮彫されていた。重文 造像は古くは貞観時代(860年頃)、新しくても鎌倉時代とされる。 元は三輪山中腹に安置されていたものが、明治初の神仏分離によりこの辺りに移されたという。 |
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