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名古屋市役所前あたりから空堀に沿って西に歩くとやがて名古屋城正門に着いた。
正門は現在の城域の西端に近い。
(後で分かったことだが、本当はもっと近くに東門あり、そこから名古屋城に入ることができた。)
正門より場内に入る。(案内図はここをクリック)
西の丸と言われる区画にでる。
正面に「名古屋城のカヤ」と言われる巨木が生えている。
東の方には内堀(空堀)で囲まれた本丸があり一番手前の西南隅櫓は修理工事中で素屋根に覆われていた。
その先に修理中であるが通行可能の「表三之門」その東に「東南隅櫓」が建ち、その東は二の丸広場、二の丸庭園となっている。
本丸を囲む空堀にそって北に進むと本丸の西北隅に建つ天守が間近に迫ってきた。
天守は、昭和20年(1945)5月の空襲で本丸御殿、正門等と共に焼失し、昭和34年
(1959)正門と共に再建されたものだ。
正門
昭和34年(1959)天守閣とともに再建
名古屋城のカヤ
天然記念物
高さ16m、幹回り8m
推定樹齢約600年
慶弔20年(1615)初代藩主徳川義直が大阪に出陣するにあたり、実を食したと言われる。
昭和20年の空襲で火を浴びたが枯死を免れた。
表三之門および東南隅櫓
5月29日から公開始めた再建中の本丸御殿の玄関、表書院への観覧者が続いていた。
名古屋城天守
本丸西北隅に建つ。 昭和34年(1989)再建 鉄骨鉄筋コンクリート造り
天守の石垣と剣塀
天守の石垣は上部が外にそり出す、いわゆる扇勾配。
大天守と小天守を連結する櫓台は高い土塀に囲まれ、塀の軒に鋭い槍の穂先がぎっしり並べられている。
大天守への敵の侵入を防ぐもので剣塀と呼ばれている。
遠くからでは剣塀かどうか良く分からない。
昭和20年空襲で焼失 昭和53年(1978)復元
本丸北側と御深井丸をつなぐ門
厳重に施錠されていたので「明かずの御門」と呼ばれていた。
左右に槍の穂先を並べた剣塀が続く。
剣塀 不明門赤枠部拡大
塀の軒に鋭い槍の穂先がぎっしり並べられている。
敵の侵入を防ぐもので剣塀と呼ばれている。
天守の礎石
本丸の北側に再現されていた。
遠くに見える門は「不明門」
昭和20年(1945)に焼失した大天守の礎石。
地階穴蔵の地盤の上に置かれており巨大な天守を支えていた。
長く焼け跡に残っていたが、天守閣再建にあたり現在位置に移し、かっての敷設状況を再現したもの。
本丸内から見る天守
金の鯱が曇天にも拘わらず輝いていた。
因みに、金の厚さは0.15㎜、金量計約90㎏
左手前の建物は、本丸御殿復元工事に関わるもの。
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2013年06月24日
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