ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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三国三国と(チョイト) 通う奴ぁ馬鹿よ

帯の幅ほど ある町を(チョイ チョイチョイ)

ある町を(チョイト) ホイある町を  

帯の幅ほど ある町を(チョイ チョイチョイ)            (「三国節」より)


まだ残暑が厳しい8月下旬、思い立ったら吉日と言う調子の半ば思いつきで、福井へやって来た。

今日は三国、東尋坊、丸岡城と回るつもりだ。

昨夜に福井駅前のビジネスホテルに投宿し、暑くならない内にと思い、朝早く7時12分福井発のえちぜん

鉄道に乗り込んだ。

車両の中にはクラブ活動であろうか、学生・中高校生が多く乗り込んでいた。

しかし、途中でほとんど下車してしまい8時40分ごろ三国に着いた頃は姿をほとんど消していた。

駅から伸びる駅前通りを約100mほど歩き、上八町バス停付近で左(東)に入ると「三国湊きたまえ通り」

である。

九頭竜川の河口に位置する三国町は昔から越前の玄関ともいうべき経済の要港として発達してきた。

特に江戸時代には北前船の寄港地として栄えた。

湊周辺に商人の多く居住し、当然のごとく花街ができ「三国節」に代表する歌舞音曲も盛んだった。

また、商人たちにより、俳諧など文芸活動が盛んだった。

三国湊きたまえ通りには、こうした三国を代表する商人が住んだ名残が色濃く残していた。

炎天下の通りを歩いていて、今にも荷を載せた大八車が飛び出して来る様な錯覚に襲われた。



イメージ 1竹よし
「江戸小唄 竹よし」と表に表示してあり、
御座敷唄や、「三国節」を聴かせてくれる。




イメージ 2旧岸名家住宅
国登録有形文化財
妻入りを前面に平入り屋根を伴った「かぐら建て」という三国湊独特なもの。
江戸時代に建てられ、明治大正昭和と時代に合わせ改造された。
旧岸名家の祖・岸名昨嚢は宝永4年(1707)俳諧結社日和山蓮を創設し、これまで日和山吟社と続いており、三国俳諧の祖と伝えられている。
この土地建物を買い取った三国町が平成16年(2004)一般公開した。
俳諧関係の資料、三国所縁の文芸作品などを紹介していた。




イメージ 3三国湊町屋館
旧岸名家住宅の東隣
紅柄格子のたたずまいを見せる伝統的建築様式の休憩所




イメージ 4元三国大野屋
三国独特の「かぐら建て」
越前大野藩は財政の窮乏を救うため、家老・内山良休の提案を受けて、今でいう商社である「産物会所」を起業した。安政2年(1855)大阪を第一号に全国に40店舗を展開した。
この地が三国湊で大野屋が置かれた。




イメージ 5宮太旅館
三国独特の「かぐら建て」
宮本家は代々宮腰屋太吉を名乗り、回漕業を営んでいた。
明治はじめには旅籠屋としても営業をおこなっている。
セドと呼ばれる中庭を挟んで蔵が川端まで並ぶ。




イメージ 8内田本家跡
内田家の祖は朝倉家の家臣と伝えられ、元禄16年(1703)三国に来住。
廻船業を営み財をなした。
今は庭にあったタブノキがその面影を伝える。
隣の2階建て近代和風建築店舗は古道具店の看板が出ていた。



イメージ 7 イメージ 6
                               粋な飾り物
通りに面して」、各民家が趣向を凝らした粋な飾り物を出しており目を楽しませてくれた。
写真は一例であり、町内毎により形が違うようだ。

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