ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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当尾(トウノ)の古刹・浄瑠璃寺は東に三重塔、池を挟んで、西に本堂(阿弥陀堂)となっている。

本堂には九体の阿弥陀坐像を安置することから、地元では九体寺と呼ばれ親しまれている。

浄瑠璃寺は山号を小田原山と号する真言律宗に属する寺院である。

創建は永承2年(1047)で、当初は西小田原寺と称した。

行基の創建伝説もあるが、創建以来の歴史を伝える「浄瑠璃寺流記事(ジョウルリジルキノコト)」(南北朝時代 

重文)によれば、当麻出身で比叡山延暦寺の僧と伝わる義明上人が開山である。

当時は薬師如来を本尊としていたことから、後に浄瑠璃寺という寺名になった。

嘉承2年(1107)九体阿弥陀堂の建立が始まり、翌年開眼法要が営まれた。

末法の時を迎えた現世から逃れたいという貴族たちの欲求がそれまでの薬師如来に代えて、

来世の仏である九体阿弥陀如来と阿弥陀堂建立につながったのであろう。

久安6年(1150)興福寺一乗院権別当・恵信が移り住んでから伽藍整備が進んだ。

彼は浄瑠璃寺を一乗院の祈願所にすると共に、池泉(宝池)を掘らせた。

さらに、保元2年(1157)には本堂(九体阿弥陀堂)を、現在位置にあたる、池の西岸に移築した。

治承2年(1178)には三重塔が京都一条大宮から移され、現在の伽藍配置がほぼ完成した。

その後、戦国の世には衰え荒れ果てた。

江戸時代には堂宇が復興されるが、明治初年の神仏分離で一乗院が廃絶するなど混乱した。

明治7年(1874)真言律宗西大寺の末寺として新しく歩み初め、現在に至っている。



江戸時代の境内絵図にも描かれている奥ノ院が10分ほどのところにあると聞いたので行ってみた。

境内を出て、一旦府道を少し下り、崖の上にある石仏「長尾の阿弥陀」を過ぎたところで山道に入る。

山道は、やがて急峻な下り道なりそれを下りきった谷底に、不動明王石像を岩場に安置する奥ノ院が

あった。

江戸時代の境内絵図では、行場だった様だが今はどうだろうか?

:)は胸に爆弾を抱えているので、帰りはゆっくりと休み休み時間をかけて、急峻な山道を登った。

おかげで、全く疲れてしまった上、1時間に1便しかない帰りのバスを乗り遅れてしまった。

次のバスを待つ間、浄瑠璃寺前をぶらついたところ、首切り地蔵やフォックスフェイス、花茄子などを栽

培している花卉畑を見つけるという、果報もあった。



イメージ 1  長尾の阿弥陀
浄瑠璃寺から府道を少し下った崖の上にあった。
大きな笠石を持つ阿弥陀如来坐像。
徳治2年(1307)の銘がある。




イメージ 2 イメージ 3
                                   奥ノ院
瀧の水はすくなかった。不動明王像と二童子像が置かれていた。
実はこれらの像は後から置かれたもので、近くの岩に彫られた「願主僧祐乗 永仁4年(1296)」の銘がある不動明王の磨崖仏があるのだが、浸食されて良く分からなかった。


イメージ 6  首切り地蔵
弘長2年(1262)の銘がある阿弥陀如来坐像
名の由来は、昔首切りの刑場にあったとか、
首のくびれが深く切れて見えるためともいわれる。
隣に十一面観音立像があった。
無銘ながら形が良いので同時に写真に収めた。




イメージ 4 イメージ 5
                            花茄子とフォックスフェイス

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