ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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大手口前広場を逍遥した後、大手口から再び大阪城内(二の丸)に入り本丸の正門桜門へと向かった。

(途中、東手にある西の丸公園に寄っているが、西の丸公園については次稿で触れることにする。)

城の正面を大手(追手)口といい、大阪城では西向きとなっている。

大手(追手)門その背後の桝形、その石垣の上に築かれた多聞櫓(渡櫓、続櫓)からなっている。

これらは幸いにも、明治維新の大火(慶応4年、1868)の大火にも第二次大戦の空襲(昭和20年、1945)による

焼失を免れている。

渡櫓の下の大門を抜け、左手の西の丸庭園前を過ぎると、二の丸の西と南を仕切っていた南仕切り門跡・

太鼓櫓跡があり、それを過ぎると本丸の西半分と南を囲む空堀の外側に出た。

右手にに大阪市立修道館があり、左手すぐ先、空堀越しに桜門が見えた。




イメージ 1

                               大手口
大手門、多門櫓、左手に千貫櫓が見え、大坂城正面の風格を見せていた。




イメージ 2  大手門
寛永5年(1628)徳川幕府による大坂城再築工事(第3期工事)の際建造された。 重文
正面左右の親柱の間に屋根を乗せ、親柱のそれぞれの背後の控柱との間にも屋根を乗せた高麗門形式。
屋根は本瓦葺、扉や親柱は黒塗総鉄板張
開口部幅約5.5m 高さ約7.1m
門の左右に接続する北方塀、南方塀と共に重文指定されている。



イメージ 3  謎の柱継
大手門の親柱と控柱の下部は、その後腐食により根継が施されている。
中でも正面右(南)側の控柱の継手は、南北両面を「殺ぎ継」、東西両面を「蟻継」という手法で繋いでいる。一見不可能にしか見えない不思議な継ぎ方である。
大工の遊び心であろうか?





イメージ 4  多聞櫓
大手口枡形の石垣の上に建ち、大門の上の渡櫓と東(右)側の続櫓とからなる。
寛永5年(1628)創建 天明3年(1783)落雷により焼失し、
現在のものは幕末の嘉永元年(1848)に再建されたもの。重文
土塁や石垣上に築かれた長屋状の建物を「多聞櫓」といい、大阪城には、京橋口の桝形、玉造口の桝形、桜門枡形、山里丸の桝形にも多聞櫓があったが残っているのは大手口だけである。
右端の桝形の石垣の巨石は城中第5位の「大手二番石」




イメージ 5  大手口枡形巨石
大手門をくぐったところに広がる一帯が大手口枡形である。
正面にある「大手見付石」(城中第4位)、
右側のは「大手三番石」(城中第8位)
左側のは「大手二番石」(城中第5位 本写真からは外れている)
の巨石が目を引く。





イメージ 6  南仕切り門跡・太鼓櫓跡
大手口から桜門に向かう途中、二の丸を西と南の区域を石垣によってせばめられる通路を通る。
かっては、ここに南仕切り門があり、又門の西側の石垣の上に太鼓櫓があった。
いずれも慶応4年(明治元年、1868)明治維新の大火で焼失し石垣のみ残っている。

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