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なんだかんだと言っても好天が続いている。 神戸に住む の感覚からであるが、奈良の先、当尾(トウオ)の古刹や石仏を巡ってみようと思い立ち出かけた。 近鉄奈良駅から奈良バスで浄瑠璃寺に行き、そこからコミュニティーバスで岩船寺までいった。 岩船寺から石仏の道を通って浄瑠璃寺へと回るつもりだ。 の感覚からでは、当尾は奈良県内かと思ったが、実は京都府なのだ。愛読書である和辻哲郎の「古寺巡礼」には「奈良の北の郊外はすぐ山城の国になる。 それは名義だけの区別ではなく、実際に大和とは気分が違っているように思われた。 奈良坂を越えるともう景色が一変する。」と書かれていた。 和辻哲郎が当尾の浄瑠璃寺を訪れたのは大正時代の事、道は舗装されていないし、バスもない。 それに今日ほど拓けていない。 従って、彼が言う「気分が違う」は、今では同じように感じられないが、しかし、確かに気分が違った。 多くの人が行き交う街中から、わずか10分ほどで、山間の、長閑な田園風景に一変したのだった。 そんなことを思いながら25分ほどで浄瑠璃寺バス停に着き、加茂行のコミュニティーバスに乗り換え、 5分ほどで岩船寺バス停に着いた。 岩船寺は当尾の東端に位置する。 岩船寺バス停から数分のところに在り、山間の木々が境内に深い影を落としていた。 石棺の様な岩風呂が置いてある階段の上のかわいらしい山門をくぐると、正面先に阿字池があり、その先 に朱色が鮮やかな三重塔が建っていた。 右手には庫裏と本堂が建ち、それと差向いになるように左手には五輪塔(重文)、厄除け地蔵菩薩、 石室不動明王(重文)、十三重石塔(重文)があった。 まず、本堂で植村幸雄住職から約20分間、お経と岩船寺の概要や本堂内に安置する仏様の説明をしていた だいた。 説明の後、本堂内の仏様を拝観した(他の寺院と同じく撮影禁止)。 平安時代から室町時代の古仏像が多くあり、かつそれらが間近に拝観することができた。 特に本尊の阿弥陀如来坐像が(信徒の方から叱られそうな表現かもしれないが)よかった。 静かな山郷の寺にもかかわらず、丈六の堂々たる巨像であった。 素朴な二重円光背を背にし、吉祥座に坐し、両手は定印を結んでいる。 ケヤキの一木造りで、像内の墨書から天慶9年(946)の作と認められている。 宇治の平等院の阿弥陀如来より1世紀以上古い作ということになる。 本堂前には、繰り返しになるが、向き合うように五輪塔(重文)、厄除け地蔵菩薩、石室不動明王(重文)、 十三重石塔(重文)があり、これらを巡った後、阿字池越しの高台に建つ三重塔にむかった。 縦約2m、横約1m 鎌倉時代 山門階段下に置かれてあった。 修行僧が身を清めるための風呂 この石風呂が(岩船)が寺の名前の由来になったとか。 昭和63年(1988)再建したもの。 本堂内には天慶9年(946)作と考えられる丈六の阿弥陀如来坐像(本尊 重文)、 四天王立像(正応6年1293)、 不動明王立像(室町時代) 普賢菩薩騎象像(平安時代 重文) 十一面観音菩薩立像(鎌倉時代) 薬師如来立像、十二神将立像 釈迦如来坐像、弁財天坐像 大黒天像、菅原道真坐像 (いずれも室町時代) が安置してあった。 総高2.8m(塔高2.4m) 鎌倉時代 重文 東大寺別当・平智僧都の墓と伝えられる。 昭和の初めに岩船の北谷墓地から移したもの 基壇上にきれいな複弁式反花座を置いている。 地蔵堂内に安置してあった。 石室総高2.2m 像高1.2m 鎌倉時代 重文 花崗岩製で全面二本の角柱を立て、 その上に寄棟造り一枚石の屋根をかけている 奥壁の一枚石には火焔を背負う不動明王が薄肉彫りさえている。 眼病に霊験あるとして信仰をあつめてきた。 応長(1312)の銘が線刻されているという。 十三重石塔 正和3年(1314)妙空僧正の建立と伝えられる。総高6.3m(塔高5.5m) 鎌倉時代 重文 初重の軸石の四面には金剛界四仏[阿閦(アシュク)如来、宝生(ホウショウ)如来、阿弥陀如来、不空成就如来}の梵字が薬研彫りで刻まれている。 左の建物は厄除け地蔵堂 |
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2013年10月05日
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