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三重塔は谷間に開けた境内の一段高い場所に本堂を見下ろすように建っていた。 平成15年(2003)3年かけての修理を終え朱色の鮮やかな姿を見せていた。 阿字池の畔の道を通って三重塔にむかった。 途中には、身代わり地蔵菩薩、開山堂、や無銘の石仏などがあった。 岩船寺は、高雄山報恩院岩船寺と号し、真言律宗に属する寺院である。 創建は、天平元年(729)聖武天皇が霊夢により、行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まる。 その後智泉大徳(弘法大師の姉の子、甥)が、大同元年(806)報恩院を建立した。 更に、嵯峨天皇の命により智泉大徳が皇孫誕生を祈願したところ皇子(仁明天皇)が誕生した。 これにより、皇后の橘嘉智子の帰依を受け、弘仁4年堂塔伽藍が建立され、やがて岩船寺と号した。 最盛期には東西16町の広大な境内に39の坊舎を有した。 しかし、承久3年(1221)承久の乱で堂塔の大半を焼失した。 弘安年間(1278〜1288)近くの随願寺(東小田原寺)が衰微し、その建物や仏像、山伏などが岩船寺に移り、 再び寺観を整えた。 室町時代に入ると三重塔が建立されるなど、現在の寺の姿に近づいてくる。 岩船寺は、鎌倉時代から江戸時代末期まで、興福寺最大門跡寺院である一乗院の末寺であった。 明治に入ると神仏分離の嵐は南都仏教界を容赦なく襲い、興福寺さえ廃絶の危機を迎えたほどであった。 この混時期岩船寺も無住となった時期すらあったという。 明治14年(1881)真言律宗に属し、西大寺の末寺となって今日に至っている。 三重塔 仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで承和年間(834〜847)に建立したと伝える。 現在の塔は嘉吉2年(1443)建立されたもの。平成15年(2003)修理 重文 三重塔の四隅の垂木を支えている。 はっきりとは分からないが赤い腹掛けか褌をしているようだ。 「念ずれば 花ひらく」と側に書いてあった。 |
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2013年10月06日
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