ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]


談山神社は、中大兄皇子(天智天皇)と共に蘇我氏を打倒し、大化の改新を成し遂げた藤原鎌足を祀る神社

である。

社伝によれば、鎌足の没後、次男・不比等によって摂津国阿威山(大阪府高槻市)に葬られた。

天武天皇8年(678)唐から帰朝した長子・定慧(ジョウエ)により遺骨の一部が多武峯(トウノミネ)山頂に改装され  
た。

定慧は十三重塔、講堂などの堂宇を建立し妙楽寺と称した。

更に大宝元年(701)十三重塔の東に聖霊院を建立し鎌足の木像(大織冠像)を安置した。

これが現在の談山神社の始まりである。

延長4年(926)天神地祇・八百万神を祀る総社が創建され、醍醐天皇の勅により談山権現と号した。

永享10年(1438)南朝の遺臣たちが兵をあげ、南朝方の越智氏の拠点となっていた多武峯は室町幕府の管

  
領・畠山持国を大将とする数万の攻撃を受け、社殿のほとんどが灰燼に帰した。

江戸時代には徳川の保護を受けて栄え、現存する堂宇のほとんどが修復・再建された。

明治になり、神仏分離によって一山すべてが談山神社となり、聖霊院を本殿、十三重塔を神廟、講堂を拝

所、常行堂を権殿などと改称し、大織冠藤原鎌足を祀る神社として統一され現在に至っている。

因みに中臣鎌足が藤原鎌足、大織冠と言うのは、死の直前天智天皇より、藤原という姓と大織冠の位を与

えられたからだ。「日本書紀」の記載を次稿冒頭に示す。


イメージ 1

                              十三重塔(神廟)
藤原鎌足の長子・定慧が父・鎌足の供養のために建てた天武天皇8年(678)創建した塔婆。
現在のものは享禄5年(1532)の再建 平成19年(2007)屋根が葺き替えられた。重文
唐の清涼山宝池院の塔を模して建てられたと伝えられている。





イメージ 2  十三重塔(神廟)
高さ約17m、3間十三重塔
上部12層の屋根にくらべ初層のは大きく反りを見せ威厳がある。
奥(西隣)の建物は権殿


イメージ 3

                               権殿(旧常行堂)
蹴鞠の庭の北側高台に建つ。




イメージ 4  権殿(旧常行堂)
天禄元年(970)摂政右大臣・藤原伊尹(コレタダ)創建、実弟・如覚が阿弥陀像を安置した元常行堂。
現在のものは室町後期の永正年間(1504〜1521)に再建されたもの。 重文






イメージ 5

                                  総社拝殿
寛文8年(1668)造営 重文 蹴鞠の庭の西側に面して建ち、正面・背面に唐破風を持つ。

なお、蹴鞠の庭では、飛鳥法興寺の蹴鞠会(「日本書紀」では打毬会)で中臣(藤原)鎌足と中大兄皇子が初

めて出会い親しくなったという故事に因み、毎年4月29日(昭和の日)と11月3日(文化の日)にけまり祭が行

われる。



イメージ 6  総社拝殿
内部には、なぜか、福禄寿の像が安置してあった。


イメージ 7

                                総社本殿
延長4年(926)勧請、天神地祇・八百万神を祀る。 日本最古の総社と言われる。
現在の本殿は、寛文8年(1668)造替の談山神社本殿を寛保2年(1742)に移築したもの。 重文



イメージ 8  閼伽井屋
総社拝殿の北側に閼伽井屋があった。
元和元年(1619)造営、杮葺き
中の井戸は「摩尼法井」と呼ばれ、定慧が法華経を講じた時、竜王の出現があったと伝えられる。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事