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談山神社は、中大兄皇子(天智天皇)と共に蘇我氏を打倒し、大化の改新を成し遂げた藤原鎌足を祀る神社 である。 社伝によれば、鎌足の没後、次男・不比等によって摂津国阿威山(大阪府高槻市)に葬られた。 天武天皇8年(678)唐から帰朝した長子・定慧(ジョウエ)により遺骨の一部が多武峯(トウノミネ)山頂に改装され た。 定慧は十三重塔、講堂などの堂宇を建立し妙楽寺と称した。 更に大宝元年(701)十三重塔の東に聖霊院を建立し鎌足の木像(大織冠像)を安置した。 これが現在の談山神社の始まりである。 延長4年(926)天神地祇・八百万神を祀る総社が創建され、醍醐天皇の勅により談山権現と号した。 永享10年(1438)南朝の遺臣たちが兵をあげ、南朝方の越智氏の拠点となっていた多武峯は室町幕府の管 領・畠山持国を大将とする数万の攻撃を受け、社殿のほとんどが灰燼に帰した。 江戸時代には徳川の保護を受けて栄え、現存する堂宇のほとんどが修復・再建された。 明治になり、神仏分離によって一山すべてが談山神社となり、聖霊院を本殿、十三重塔を神廟、講堂を拝 所、常行堂を権殿などと改称し、大織冠藤原鎌足を祀る神社として統一され現在に至っている。 因みに中臣鎌足が藤原鎌足、大織冠と言うのは、死の直前天智天皇より、藤原という姓と大織冠の位を与 えられたからだ。「日本書紀」の記載を次稿冒頭に示す。 十三重塔(神廟) 藤原鎌足の長子・定慧が父・鎌足の供養のために建てた天武天皇8年(678)創建した塔婆。 現在のものは享禄5年(1532)の再建 平成19年(2007)屋根が葺き替えられた。重文 唐の清涼山宝池院の塔を模して建てられたと伝えられている。 高さ約17m、3間十三重塔 上部12層の屋根にくらべ初層のは大きく反りを見せ威厳がある。 奥(西隣)の建物は権殿 権殿(旧常行堂) 蹴鞠の庭の北側高台に建つ。 天禄元年(970)摂政右大臣・藤原伊尹(コレタダ)創建、実弟・如覚が阿弥陀像を安置した元常行堂。 現在のものは室町後期の永正年間(1504〜1521)に再建されたもの。 重文 総社拝殿 寛文8年(1668)造営 重文 蹴鞠の庭の西側に面して建ち、正面・背面に唐破風を持つ。 なお、蹴鞠の庭では、飛鳥法興寺の蹴鞠会(「日本書紀」では打毬会)で中臣(藤原)鎌足と中大兄皇子が初 めて出会い親しくなったという故事に因み、毎年4月29日(昭和の日)と11月3日(文化の日)にけまり祭が行 われる。 内部には、なぜか、福禄寿の像が安置してあった。 総社本殿 延長4年(926)勧請、天神地祇・八百万神を祀る。 日本最古の総社と言われる。 現在の本殿は、寛文8年(1668)造替の談山神社本殿を寛保2年(1742)に移築したもの。 重文 総社拝殿の北側に閼伽井屋があった。 元和元年(1619)造営、杮葺き 中の井戸は「摩尼法井」と呼ばれ、定慧が法華経を講じた時、竜王の出現があったと伝えられる。 |
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2013年11月23日
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