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庚申に、天皇、東宮大皇弟を藤原内大臣の家に遣わして、大織冠と大臣の位を授く、 よりて姓を賜ひて藤原氏とす。此れより以後、通して藤原内大臣と曰ふ。 辛酉に藤原内大臣薨りぬ。 (「日本書紀」巻第二十七 天智天皇八年) (《天智天皇10月に重病の中臣鎌足を見舞った後》15日に東宮大皇弟を藤原内大臣《中臣鎌足》の家に遣わし、大織冠と大臣の位を授けられた。そして姓を与えて藤原氏とされた。これ以後、通称は藤原内大臣と言った。 16日に藤原内大臣は没した。) 紅葉を鑑賞しながら権殿、十三重塔と東に向かうと、西宝庫があり、鶴の手水鉢、楼門が立ってた。 楼門の前の南側は急な傾斜の石段となりその先には鳥居が建つ。 本来参拝するには、この鳥居をくぐり、石段を上り、頂の手水鉢で手を清め、楼門から入ることになる。 楼門をくぐると内庭があり、南側に拝殿、北側に本殿があり、それらを東西の透廊が内庭を囲むように結 んでいた。 拝殿は舞台造りで周囲を縁が囲み、その上を吊り燈籠が列をなしていた。 吊り燈籠越しに眺める紅葉は素晴らしかった。 拝殿内では、多武峯縁起絵巻、三十六歌仙絵、嘉吉祭(毎年10月第二日曜に斎行)の神饌・百味の御食(オンジ ャ)などをを展示していた。 本殿は朱塗り極彩色の豪華絢爛な建物だった。 石段の頂の右側に楼門、拝殿、本殿が建っていた。 石段を上ったほゞ正面にあった。 明治13年(1880)九条道隆がほうのうしたもの。 花崗岩製で、鉢上に談山神社の社紋「のぼり藤」を浮き彫りにし、みずは鶴を彫刻した石の口から出るという趣向。 現在は使われていない。 現用の手水鉢は近くに設けられていた。 永正17年(1520)造営 檜皮葺 重文 拝殿南側外縁 拝殿は朱塗り舞台造り 本 殿 藤原鎌足を祀る。元聖霊院 多武峯社、大織冠社ともいう。 大宝元年(701)創建 現在の本殿は嘉永3年(1850)建替 三間社隅木入春日造 重文 社殿全体が極彩色模様、花鳥の彫刻によって装飾されている。 日光東照宮の造営に際し、手本となったという。 毎年10月第二日曜日に催される「嘉吉祭(カキツサイ)」にお供えされる野山の産物を盛った神饌。 中央のは和稲御供(米御供)といい、粒のそろったもち米を選び、食紅で染めたものを、ビーズの様に、米を一粒づつそろえもち米の糊で円筒状に積み上げている。 |
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2013年11月24日
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