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中大兄皇子 中臣鎌足連に言って曰く、鞍作(蘇我入鹿)の暴逆いかにせん。 願わくは奇策を陳べよと。 中臣連、皇子を将(ヒキ)いて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。 (「多武峰縁起絵巻」) 談山神社境内の西側に行くと、比叡神社(本殿は重文)などの末社が並んでいた。 西と北側には杉林となって談山(カタライヤマ 566)、御破裂山(ゴハレツサン 618)への山道が続いていた。 入口の竜神社前から、多くの人が登っていくので、 も胸の爆弾を気にしながら登って行った。約10分ほどで、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が大火改新の秘策を練った所とされる談 山頂上に、更に10分ほどで鎌足墓のある御破裂山頂上に着いた。 大和盆地を眼下に見ながらしばらく休んだ。 祭神:大山咋神 寛永4年(1627)造営 重文 一間社流造 千鳥破風および軒唐破風付き 檜皮葺 小社ながら豪華な様式を持つ。 もと飛鳥の大原にあった大原宮でここに移築し、 明治維新まで「山王宮」と呼ばれていた。 両側の小社は末社・稲荷神社(向かって左) 末社・山上神社(向かって右) 竜神社を遠巻きにして談山(カタライヤマ 約10分)、御破裂山(ゴハレツサン 約20分)に向かう。 標高566m 談山神社の裏山にあたり、古くから談所(ダンジョ)の森と名付けられ、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が大火改新の秘策を練った所とされる。 頂の広場中央に「御相談所」碑が建っていた。 室町時代 伝土佐光信 談山神社拝殿内で展示していたレプリカの一部。 中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が密かに会い、大火改新の秘策を練っている様子。 この絵には冒頭に記した詞書が付け加えられている。 御破裂山(618m)頂上にあった。 古くから国家に不祥事がある時に「神山が鳴動した」記録が多く残っている。 鎌足墓の裏側に回ると、視界が開け大和盆地を眺望することができた。 少しかすんでいたが、天香久山が島のように浮かんでいた。 比叡神社前 暗い山道を降りてくると比叡神社の前で急に明るくなった。 右手が比叡神社の本殿、中央の建物は末社・神明神社。 |
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2013年11月25日
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も胸の爆弾を気にしながら登って行った。

