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京都はわずかに薄日を時々射すが、雲が多い時折霧雨の様な雨粒が降るという不安定な天候の休日の時、 京都に出てきた。 寺之内界隈歩いているとき、本法寺の近く、上御霊前通りに面して妙覚寺というお寺が建っていた。 日蓮宗の本山で、大門が、聚楽第の裏門を移築したものという。 境内を覗くと、正面の祖師堂は修理工事中で、工事用フェンスで囲まれていた。 祖師堂の屋根葺替え寄進をつのる幕がひらひらと風に吹かれてひらめいていた。 休日の所為か工事関係者の姿はない、そして境内には参拝者の姿もない。 桜と紅葉のシーズンには良い庭があるというが、こんな時に見ても仕方がない。 時期のよい時にまた来ようと思いながら、境内のめぼしい建物を撮っただけでここを後にした。 もう春だというのに、人影のない、冬枯れの様な寒々とした境内だった。 妙覚寺は山号を具足山と号し、日蓮宗一致派の本山で、日蓮宗京都16本山の一つ。 妙覚寺、妙顕寺、立本寺の3寺はいずれも具足山と称し、「龍華の三具足(リュウゲノミグソク)」と呼ばれてい る。 妙覚寺は、天授4年(永和4年、1378)日実によって創建された。 日実は妙顕寺の僧であったが、教義や後継問題から同寺を離れ、豪商・小野妙覚(オノミョウカク)の支援を受けて 四条大宮に創建した。 妙覚寺では日像を開山、日実を4世としているが、実質的な創建者は日実である。 その後、文明15年(1483)二条衣棚に移った。 天文5年(1536)の天文法華の乱では堺に避難したが、天文17年(1548)には二条衣棚に再建している。 天正10年(1582)本能寺の変が発生。この時織田信長の嫡男・信忠が妙覚寺に宿泊しており、焼失したと言 われている。 天正11年(1583)豊臣秀吉の命により現在地に移転。 天明8年(1788)天明の大火により、大門と華芳塔堂を覗き焼失し、その後再建された。 大 門 寺伝によると、豊臣秀吉が天正18年(1590)建設した聚楽第の裏門を、寛文3年(1663)移築したもの。 奥の祖師堂には、日蓮、日郎、日像の坐像を安置している。 右に本堂の屋根が覗いている 奥に本堂がある |
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2013年03月17日
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