|
播磨総社ともいわれる「射楯兵主(イタテヒョウズ)神社」の 20年に一度の大祭「三ツ山大祭」が、3月31日か ら4月7日の間行われている。 天気が良く、姫路城の桜見物もかねてお祭りを見に11時頃出かけた。 平日にも係わらず多くの人が出ており、姫路駅から総社に通じる商店街「みゆき通り」は人の波に あふれていた。 突き当りの大手前広場では多くのテント張りの出店、休憩所等が出ており、中央のステージでは何やら催 しをしていた。 案内所でパンフレットなどをいただき、東に数分の総社に向かった。 射楯兵主(イタテヒョウズ)神社は射楯大神(五十猛尊)と兵主大神(大国主命)の二柱を祭神としている。 欽明天皇25年(564)6月11日(丁卯の日)兵主大神がまず影向した。 この由緒によって、6月11日が丁卯(ヒノトウ)となる年(後に丁卯の年)に60年に一度の「天神地祇祭」・一 ツ山大祭が行われるようになった。 これに対し三ツ山大祭は、平安中期の天慶2年(939)に起きた藤原純友の乱を鎮定するため、臨時に執り行 われた「天神地祇祭」を始まりとし、その後も不定期に行われていた臨時祭を、天文2年(1533)播磨国守 護・赤松晴政により20年に一度行うように定め、今回は22回目にあたる。 (天文22年、天正元年の記録不詳のため文禄2年(1593)を第一回として数えている。) 三ツ山大祭の名は、神門前に造られる三つの大きな置き山に由来する。 かっては、車の付いた飾り山もあったようだが、大永2年(1522)播磨国守護・赤松晴政が現在の形式を整え たとされる。 祭りは、31日(宵宮)三ツ山頂上の「山上殿」に全国の神々を招き、総社の上は神門の屋根の上の「門上 殿」にうつり山上の神々を接待する。 人々は「八難苦厄を祓い、国内が平和で、皆が幸せになるよう祈る。 4月7日夜神々をお送りして祭りは終わる。 この間、神々を接待するため、「流鏑馬(ヤブサメ)」、「競馬(クラベウマ)」、「弓鉾指(ユミホコサシ)」、「神子渡 り(ミコワタリ)」、「一つ物」という五種類の祭礼芸能「五種神事」や各種演芸などの,いわゆる歌舞音曲類が 奉納として催しがされるのである。 楼上に上ることができ、楼上にはジオラマ風立体模型「造り物」(次稿に紹介)の一つが飾ってあった。 3階楼上からは大祭のシンボル3基の置き山(三ツ山)の上部と紅白幕で囲まれた門上殿が望まれた。 三ツ山 三ツ山と呼ばれる3基の置き山は神門の前に設けられる。 大きさは高さ約18m、底部直径は約10m。 右より、 二色山(東の山): 青と白の布を巻いたもの。 山上殿に「播磨国の174の大小明神」が迎えられる。 「富士の仁田四郎忠常の猪退治」の飾り人形が飾られている。 五色山(中の山): 青、黄、赤、白、紫の布を巻きつけたもの。 山上殿に「九所御霊」が迎えられる。 「大江山の源頼光の鬼退治」の飾り人形が飾られている。 小袖山(西の山): 色とりどりの着物を貼り付けたもの。 山上殿には全国の神々「天神地祇」が迎えられる。 一説にはこの着物一枚一枚が神様の布団になるのだとか。 「三上山の田原藤太の蜈蚣(ムカデ)退治」の飾り人形が飾られている。 左端紅白幕には、神門屋根に設けられた「門上殿」 三ツ山 三基の置き山の飾り人形は、門上殿」のある神門(北)側に造られているので、南側からは飾れている松の木だけで飾り人形は見当たらない。 かって人々は、姿の美しい山に神が降臨すると考えた。 大祭は街中に山を築くことで髪を招き、国の平安と発展をいのる。 神門の屋根の上には、山上殿に降臨した神々を接待するため、総社の上が移る「門上殿」が設けられている。 拝 殿 左右の桜は満開だった。本殿前では日本舞踊が奉納されていた。 ただ、本殿の神様は門上殿に移っており不在のはずだが? |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]


