|
「閑臥庵(カンガアン)」より数分東に行くと「上善寺」という寺が建っていた。 千松山(センショウザン)遍照院と号する浄土宗の寺院であった。 貞観5年(863)円仁により天台密教の道場として千本今出川(京都市上京区)に創建されたと伝えられる。 その後、文明年間(1469〜87)に春谷盛信(シュンコクセイシン)によって再興され後柏原天皇の勅願寺として栄え た。 文禄3年(1594)秀吉の京都整備に伴い寺域を現在地に移し、浄土宗に改められた。 境内にある地蔵尊が京都六地蔵の一つで、毎年8月22、23日には、京都六地蔵めぐりの多くの参拝者でに ぎわう。 門前に「贈正四位入江九一 他七名の首塚アリ」の標柱が建っていた。 後で知ったのだが、元治元年(1864)7月19日の蛤御門の変の際、鷹司邸辺りで死んだ長州藩士たちで、境 内の東側の墓地にある様だ(確認しなかった)。 本尊:阿弥陀如来坐像(伝行基作) 平安の初めの仁寿2年(852)小野篁が一度息絶えて冥途に行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、1本の桜の木から刻んだ6体の地蔵尊の一つとされる地蔵尊を安置する。 当初、木幡の里に祀られていたが、保元年間(1156〜59)に、洛北の深泥池の畔に祀られていた。 明治の廃仏毀釈の際、当寺に移されたものと言われている。 「鞍馬口地蔵」、「深泥池(ミドロガイケ)地蔵」、「姉子の地蔵」などの愛称で親しまれている。 扉には,上部に梵字が記され、地蔵尊の姿を写した(紙の人型の様な)お札?が多数納められていた。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2014年01月18日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]


