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京都市街を東西に走る今出川通りから小川通りをぶらりぶらりしながら南に下った。 天気はあまり良くなかった。 武者小路千家官休庵を過ぎたころ、霊光殿天満宮が鎮座していた。 は、その名を耳にしたことがないが、「天下無敵必勝利運」と記された鳥居の扁額といい、何かいわれがありそうな雰囲気だったので境内に足を踏み入れた。 鳥居ー拝殿ー本殿と一直線に並び、本殿は覆い屋にて保護されている。 主祭神は菅原道真と徳川家康、天満宮だから菅原道真は当然として徳川家康とは? その疑問を含め、神社の由緒が社頭の説明板に次のように記してあった。 寛仁2年(1018)菅原道真の6代後の子孫・菅原義郷が後一条天皇の勅命を受けて菅原氏の領地であった河内 國若江郡に神殿を建てたのが始まりである。 社名は道真の左遷の際、天から一条の光と共に天一神・帝釈天が降臨したとの伝説による。 弘安4年(1281)蒙古襲来の時、後宇多天皇が当社に夷賊退治の祈祷を行わせたところ、元の船が悉く沈ん だので、「天下無敵必勝利運」の勅学を賜った。 応仁の乱の際衰退し、他寺院の境内に遷座したことがあったが、宝暦11年(1761)現在地に鎮座した。 徳川家康は当社を深く崇敬し、社家の若江家の再興に尽力した。 家康の死後、嘉永13年(1636)徳川家光が仙洞御所にあった家康の像を当社に移し、祭神とした。 小川通りに面している 鳥居中央に架けられている扁額 「天下無敵必勝利運」と書かれていた 拝殿ー本殿(覆い屋) 覆い屋の中に本殿が建てられている。 主祭神:菅原道真、徳川家康 社殿は明治5年(1872)近衛家の旧鎮守社を移築したもの |
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は、その名を耳にしたことがないが、「天下無敵必勝利運」と記された鳥居の扁額といい、何かいわれ

