ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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楽美術館を出た後、堀川沿いに南に下った。

出水通りを過ぎると、左手に黒塀と見越しの松が覗く邸宅があった。

塀の前には石標があり、「史蹟 伊藤仁斎宅古義堂址並びに書庫」と刻まれていた。

伊藤仁斎は、「論語古義」、「孟子古義」、「語孟字義」、「童子問」などの著作がある江戸前期の儒学

者だ。

現在も末裔がお住みらしく、表札には「伊藤」とあり、「未生流華道教室」の看板も掛っていた。

少し覗かせて貰おうと門を潜ると左手、書庫へ通じる露地には折戸と手水鉢が置かれ、ここにも「伊藤仁

斎古義堂址」の石標が建っていた。

石標近くの説明板は次のような内容が記してあった。

江戸初期の漢学者・伊藤仁斎(1627〜1705)の住宅で、仁斎の学問に因み古義堂と称する。

現在の建物は明治23年(1890)遺構をもって再建したもので、2階建、土蔵造りの書庫は仁斎在世当時のも

の。

伊藤仁斎は寛永4年(1627)ここに生まれた。

父・了室は篤学の人であり、母は連歌師・里村紹巴(ショウハ)にあたる。

仁斎ははじめ朱子学を修めたが、後にこれを排して古義学を唱え、寛文2年(1662)から、79歳で没する宝

永2年(1705)までの約40年間私塾を開き、その門下生は3千人を数えた。

長男・東涯(トウガイ)は父の学問の紹述に努めたので、仁斎・東涯の学派を堀川学派、古義派と呼んで名高

く、全国各地から堀川の流れを慕って学徒はここに集まった。

子孫は永く学派を伝え、寛文2年(1662)から明治39年(1906)に至るまで実に244年に及んだ。



イメージ 1 伊藤仁斎宅(古義堂)址および書庫





イメージ 2 石標





イメージ 3 古義堂址入口

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