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東京駅丸の内口から八重洲口に移り、永代通りを10分ほど歩くと、日本橋に着いた。 隅田川の支流・日本橋川に架かる優雅な二蓮アーチの石橋であるが、覆いかぶさるように上には首都高速 都心環状線が走っており景観を台無しにしている。 日本橋が初めて架けられたのは、徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1608)と伝えられている。 幕府は東海道を始めとする五街道の起点を日本橋とした。 その名残は続き、今なお道路の起点となっており橋の中央に「日本国道路元標」のプレートが埋め込まれ ている。 火災などにより改築19回を経て、明治44年(19119東京市により完成した現在の石橋になった。 四隅の親柱の上には東京市章を抱えた青銅製の獅子が鎮座し、橋の欄干中央には麒麟像を装飾にしたc照 明塔が立っていた。 四か所橋詰めには現橋の架橋80周年を記念して花の広場(西南隅)、元標の広場(西北隅)、乙姫の広場(東 北隅)、滝の広場(東南隅)と愛称が付けられていた。 日本橋 欄干中央の照明塔の装飾の麒麟は東京市の繁栄を表す 交通量が多くて接近して撮ることができなかった。 プレートは橋の中央に埋め込まれている。 それまでは柱であったが、昭和42年(1967)都電廃止に伴い道路整備が行われのを契機に昭和47年(1972)プレートに変更された。 獅子 四隅の獅子像は橋の守護を表す。 台座になっている親柱に埋め込まれている橋名は第15代将軍だった徳川慶喜の揮毫によるもの。 日本橋の西南橋詰 日本橋由来を記したプレートなどがあった。 日本橋の西北橋詰 旧道路元標だった柱や 現道路元標の複製が展示してあった。 昭和47年(1972)プレートに変更されるまでの道路元標。 「日本国道路元標」の文字は 当時の総理大臣・佐藤栄作の筆によるもの 乙姫の像と「日本橋魚市場発祥の地」碑が建っていた。 江戸時代から大正時代まで日本橋川川沿いは魚河岸として江戸・東京で最も活気のある場所の一つだった。大正12年(1923)の関東大震災後、現在の筑地に移り、東京都中央卸売市場へと発展した。 |
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2014年04月29日
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