ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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公園を抜けて天理街道へ入って、日がかがやく田畑の間をゆき、さりげない小橋の袂にかかると、

右折すれば、帯解駅と帯解寺、左折すれば月修寺のある山裾へゆく道に分かれていた。

田の際をゆくその道中夙うに舗装されて、車は難なく月修寺の門前に着いた。
                               (三島由紀夫「天人五衰」二十九)


春日の杜から山辺の道(北道)を天理に向かって南下した。

山辺の道に入ってから2時間ほど経ち、祟道天皇(早良親王)陵から10分ほどで円照寺参道に来た。

円照寺は一般拝観をしていない。

このことは十分承知していたが、三島由紀夫の「豊饒の海」(「春の海」、「奔馬」、「暁の寺」、「天

人五衰」の4部作で、輪廻転生をテーマにした長編小説)に登場する月修寺のモデルが、ここ円照寺である

ので、山門から拝しておこうと思ったのだ。

参道は約500mあり、途中までは陽が入る明るい道であるが、途中から両側に木々が生い茂る鬱蒼とした

道となった。


円照寺は普門山と号し、臨済宗妙心寺派の門跡寺院である。

後水尾天皇の第一皇女・文智女王(大通文智尼)が江戸初期の寛永18年(1641)京都修学院に草庵を結んだの

が始まりとされる。

明暦2年(1656)大和国添上郡八嶋(奈良市八島町)に移り、寛文9年(1669)現在地(奈良市山町)に再移転して

現在に至っている。

歴代、皇女や貴族の子女が住持を務めた名刹で、中宮寺(斑鳩町)、法華寺(奈良市佐保)と並ぶ大和3門跡

尼寺であり、華道山村御流の家元である。

三島由紀夫は、円照寺に取材した際、門跡の美貌に驚き、彼女から「豊饒の海」では月修寺門跡となる伯

爵令嬢・綾倉聡子の想を得たといわれている。

長い参道の先に山門が建っていた。

その先にきれいに掃かれた砂利と一筋の敷石が奥の建物に続いていた。

山門越しに拝しただけであるが、心洗われる美しい寺であった。



イメージ 1 参道





イメージ 2 山門




イメージ 3

                            山門から眺めた堂宇




イメージ 4 ツリガネニンジン
参道の脇に咲いていた。




イメージ 5 山裾の風景
稲刈り間近の稲田が広がっている山裾に円照寺はあった。

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