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JR長柄(ナガラ)駅を過ぎると、南東10分ぐらいのところに、橘森(タチバナノモリ)と呼ばれる広大な樹林に 包まれた大和(オオヤマト)神社があった。 大和神社は、日本大国魂(ヤマトオオクニタマノ)大神を主祭神に、御年(ミトシノ)大神、八千戈(ヤチホコノ)大神の三柱を祀 る神社である。 天照大神・倭大国魂二神を並び天皇の大殿の内に祀る。 然るに其の神の勢を畏り、共に住みたまふこと安からず。故、天照大神を以ちて豊鍬入姫命 (トヨスキイリヒメノミコト)に託け、倭の笠縫邑(カサヌヒノムラ)に祀り、よりて磯堅城の神籬(ヒモロキ)に立つ。 亦日本大国魂神を以ちて渟名城入姫命(ヌナキノイリビメノミコト)に託け祀らしむ。 (「日本書紀」巻第五 崇神天皇6年の条) 日本大国魂(ヤマトオオクニタマノ)大神は大地主(オオトコヌシノ)大神ともいい、日本の国の土地を司る神で、当初は天照 大神と共に宮中に祀られていた。 しかし,その2神の神威を恐れて、2神と共に住むことに不安があった。 そこで、天照大神は豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に、日本大国魂(ヤマトオオクニタマノ)大神は渟名城入姫命 (ヌナキノイリビメノミコト)にと、別々に祀らせた。 その後、市磯長尾市(イチシノナガオチ)を以ちて倭大国魂神を祭る主と為せば、必ず天下太平ぎなむ (「日本書紀」巻第五 崇神天皇7年の条)という神託により市磯長尾市(イチシノナガオチ)を神主にして祭祀した のが大和神社の創建である。 市磯長尾市(イチシノナガオチ)は大和国造(ヤマトクニノミヤツコ)となった大倭直(ヤマトノアタイ)の祖で、以後大倭氏が神社を奉 斎してきた。 伊勢神宮に次ぐ神社として、一時は隆盛した。 奈良町時代には遣唐使が出発に際し安全を祈願したといわれる。 「延喜式」神名には「大和坐大国魂(ヤマトイマスオオクニタマ)神社三座」と記されている。 その後、平安遷都、兵乱によりが衰微していった。 しかし、明治4年(1871)官幣大社に列せられ、社殿を一新して現在に至っている。 戦中は、世界最大を誇った「戦艦大和」の守護神として祀られた。 その関係で、境内社の祖霊社には戦艦大和などの戦没者3721柱を国土開拓の神・大国主命と共に祀り、 戦艦大和展示室にはモデルシップなどを展示してあった。 橘森(タチバナノモリ)と呼ばれる広大な樹林の中に境内がある。 参道の長さは約270m 戦艦大和と同じ長さ。 社殿は明治5年(1872)再建 拝殿の先の神門の奥には本殿三殿が鎮座する 拝殿より望む神門・本殿 神門の奥に、檜皮葺の3棟の本殿が並んでいる。 本殿には、向って左から 御年(ミトシノ)大神 日本大国魂(ヤマトオオクニタマノ)大神(大地主大神 オオトコヌシノオオカミ) 八千戈(ヤチホコノ)大神 を祀っている。 祭神:'''高龗(オオタカオカミ)命 日本大国魂(ヤマトオオクニタマノ)大神のお使いの神様 天候、商売の守護 祭神:向って左から 厳島大神 事代主大神(蛭子様) 朝豊明神 祭神:大国主命 戦艦大和他戦没者英霊 など 平成24年(2012)建碑 参道の向い側の祭器庫の隣に「戦艦大和展示室」があり、3隻のモデルシップなど資料を展示していた。 祭神:猿田彦大神 天鈿女(アメノウズメノ)命 |
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2014年09月20日
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