ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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日高郡道成寺といふ寺は、文武天皇の勅願、紀大臣道成公奉行して建立せられ、吾朝の始出現、

千手千眼大聖観世音菩薩の霊場なり(「道成寺縁起」巻下)



雨こそ降らないが曇天の日、Bさんの誘いで、紀州の道成寺にいった。

道成寺の門前に並ぶ土産物店兼食堂の一つに入り、昼食をとったあと、道成寺を参拝に向かった。

62段の石段の上には重文の楼門(仁王門)が建ち、門の左前には寺の由来を示す「文武天皇勅願寺」側面に

は「宮古姫命御願寺」と刻んだ石標が建っていた。

左右に仁王様(金剛力士像)が安置された仁王門をくぐると、参道の先に重文の本堂が建っていた。

本堂には、秘仏・千手観音像の胎内仏であった千手観音像が本尊として安置されていた。

丁度、本堂の特別拝観をしており、比較的間近に拝することができた。

参拝者は思ったほど多くなく、また意外と若い人の姿が多かった。



道成寺は、大宝元年(701)文武天皇勅願により、紀大臣道成(キノオトドミチナリ)が建立したと伝えられ、和歌山

県最古の寺といわれている。

伝承によれば、

道成寺の近くの九海士(クアマ)の里(御坊市)に生まれた「宮古姫」は 髪の毛が生えなかった。

観音様に願いをかけた処、長く美しい黒髪を持つ女性に成長し、「髪長姫」と呼ばれた。

宮古姫の美しさの噂は京にも伝わり、やがて時の権力者・藤原不比等の耳にも届いた。

不比等は、宮古姫を養女に迎え、後に文武天皇に入内させた。

宮古姫は、自分の幸運を感謝し、観音像を祀る寺の建立を天皇に願い、そこで建立されたのが道成寺であ

るという。




イメージ 2

                                道成寺門前
石段は62段あるそうだ。 石段の左右の土手は逆ハの字になっており、遠近法の逆利用で、上からは長く、下からは短く見えるようになっているそうだが気が付かなかった。
能「道成寺」の乱拍子は、この石段を上る姿を表している。



イメージ 1 塊亭句碑
石段の袂に建つ。
陽炎や その石段の 六十二
松尾塊亭は紀州俳諧の中興の祖






イメージ 3 勅願寺標
仁王門に向かって左前に建つ
「文武天皇勅願寺」側面には「宮古姫命御願寺」と刻んだ石標






イメージ 4 仁王門
元禄4年(1691)再建 重文
本瓦葺 3間1戸の楼門




イメージ 5   イメージ 6
                          金剛力士像




イメージ 7 本 堂
永和4年(天授4年 1357)建立 重文
桁行:7間、梁行:5間



イメージ 8 内 陣
本尊:千手観音立像 奈良時代 重文
秘仏・千手観音立像(北向観音ともいわれ、33年に一度御開帳、次回御開帳は2038年)の胎内仏だった。

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