ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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昔この所に真砂(マナゴ)の荘司と申す者ありしが、一人の息女を持つ。 ――中略――

女逃すまじとて追っかけしに、山伏この寺に来たり、かようの子細にによりこれまで参り候、

まっぴら助けてくれよと申さければ、この寺の老若寄り合ひ談合し、およそ隠して悪しかり

なんと思ひ、その時の撞鐘を下し、その中にかくす

さるほどに、かの女は、日高川のほとりを上下しと歩きしが、折節の日高川の水増さって

越すべきやうもなかりしが、一念の毒蛇となって、日高川を易々を泳ぎ渡り、この寺に来たり、

ここかしこを尋ね歩きしが、鐘の下りたるところを不審に思ひ、竜頭をくはへ、七纏ひ纏ひ、

尾にて叩けば鐘はすなはち湯となり、山伏も即座に失せぬ。(謡曲「道成寺」)



道成寺は天音山千手院と号する天台宗の寺院である。

元は法相宗であったが、その後真言宗を経て、江戸時代に天台宗に改まった。

盛時には、末寺28坊、寺領180町歩を有していたと言う。

前稿で紹介した仁王門や本堂、和歌山県下唯一と言われる本堂前の三重塔などにその名残を見ることがで

きた。


本堂の側陣裏陣では、安置清姫の物語に関する資料や題材とした芸能、いわゆる「道成寺物」の説明した

資料を展示していた。

因みに、「安珍清姫の説話」の元の「大日本法華験記」(巻下 第129)、「今昔物語」(巻第14

 第3)にも、そして「道成寺縁起」(巻上、下)にも、その名は見当たらない。

後日談として構成されている謡曲「道成寺」でもその名はない。

安珍の名は鎌倉時代末の「元亨釈書」に「釈安珍鞍馬寺ニ居リ、一比丘人熊野山ニ詣ヅ」とあるのが初めてで、

清姫にいたっては、江戸時代の寛保2年(1742)初演の浄瑠璃「道成寺現在蛇鱗(ドウジョウジゲンザイウロコ)」が

初出と言われている。




イメージ 1

                                  三重塔
宝暦13年(1763)再建 高さ21.8m 和歌山県下唯一の木造三重塔
垂木は、初層と二階が並行垂木、3階が扇垂木となっていた。
安珍塚の東奥(本堂の、向かって右前)に建っている。



イメージ 2 三重塔初層内部
扉より覗いてみると、胎蔵界大日如来像が安置してあった。





イメージ 3 十王堂
境内の東南隅に建っていた。




イメージ 4 十王堂内部
閻魔大王をふくむ十王、司命、司録や地蔵菩薩像が安置してあった。





イメージ 5 絵入因果経(写 部分)
奈良時代 原本は東京国立博物館
絵とき説法に使用したとみられる。




イメージ 6 観音経絵巻(写 部分)
原本はニュウヨークメトロポリタン美術館
妙法蓮華経観音菩薩普門品(観音経)を絵巻化したもの




イメージ 7 地蔵和讃絵巻(部分)
空也上人の地蔵和讃をもとに絵ときするために作成された。
昭和56年(1981)画:丸山春啓、書:兼平行海師


イメージ 8 来迎和讃絵巻(部分)
恵心僧都源信の来迎和讃をもとに、地蔵菩薩と一対で作成された。
昭和56年(1981)画:丸山春啓、書:兼平行海師





イメージ 9 清姫 (写 部分)
昭和5年(1930)小林古径  原本は山種美術館
道成寺縁起が絵とき説法用であるに対し、観賞用美術品として作成された絵巻


参考 :  謡曲「道成寺」の粗筋

鐘楼が再興された道成寺の鐘供養の場に白拍子が現れる。

彼女は、女人禁制にも係わらず、能力の計らいで入場し舞を舞い、隙を見て鐘を落して中に入る。

能力の知らせを受けた寺僧が道成寺の伝説(冒頭)をかたり、皆で祈ると、鐘は引き上げられ、蛇体の鬼女

が姿を現す。

鬼女は激しく抵抗するが、祈り伏せられ、日高川の深淵に飛び込む。

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