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信者が奉納した石燈籠が両側に連なる参道を行くと、又鳥居が建っている。 ここからは山腹の本堂が望まれる。 鳥居をくぐると、昭和61年(1986)に寄進された「世界一大福虎」が出迎えてくれた。 ここから山腹の入母屋の本堂が望む風景は、ポスターなどでお馴染みだ。 更に進むと、今度はかわいらしい子虎2頭があった。 朱色で美しい赤門を過ぎると、参道は二手に分かれた。 一方は塔頭千手院前経由に本堂へ向かう道、もう一方は本坊経由本堂へ向かう道だ。 「日本最初多聞天出現霊地」碑 が建つ本坊前経由本堂に向かうことにした。 「日本最初多聞天出現霊地」碑 近くや、本坊玄関にも虎像が置かれていた。 境内では至る所に虎の像が見られる。 敏達天皇11年(582)物部氏との戦いを前にした聖徳太子は、この地で戦勝祈願したところ、毘沙門天 王(多聞天)を感得したと伝えられる。 この時が「寅の年、寅の日、寅の刻」であったので、信貴山では、寅の年、寅の日が重んじられ、その所 以により寅(虎)も重んじられている。 用明天皇2年(587)排仏派の物部守屋を討伐した聖徳太子は、「信ずべし、貴ぶべき山」として信貴山と称 し、堂宇を建立し、自ら刻んだ毘沙門天王像を守護本尊として祀ったのがこの寺の草創であるという。 参道の鳥居 また、参道に大きな鳥居があった。参道の両脇にはぎっしりと献納された燈籠が建ち並んでいる。 山腹の本堂が望める。 今や朝護孫子寺のシンボル。 昭和61年(1986)の寅年に寄進された。 高さ約3m、長さ約6mとのこと。
本堂を望む
寛政5年(1793)再建 平成21年(2009)塗り替え 向って右柱には 「総本山 信貴山」 左柱には 「毘沙門天王日本最初出現霊場、 聖徳太子御遺跡第二十番霊場」 と記してあった。 敏達天皇11年(582)聖徳太子は、信貴山で毘沙門天王(多聞天)を感得したと伝えられる。 近くに聖徳太子騎馬像、親子虎の像があった。 子虎3頭と親虎1頭のほほえましい像 本坊に向かう道脇、樹齢推定1500年の榧の木 朝護孫子寺創建時からの榧の木に祠を設けられた。 生け花と虎の像が置かれてあった。 |
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2014年10月08日
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