|
信貴山中腹に昭和33年(1958)再建された本堂は、南面に張り出した舞台造りである。 舞台からは境内おろか、王寺方面を中心に大和平野が望まれた。 本堂内陣には、聖徳太子が奉安したといわれる毘沙門天王(奥秘仏)、弘法大師が奉安したといわれる毘沙 門天王(中秘仏)は厨子に納められ、御前立の毘沙門天王を中央に、向って右側に吉祥天(毘沙門天王の 妻)、左側に禅膩師童子(ゼンニシドウジ 毘沙門天王の子)が安置されていた。 賓頭廬尊者、三面大黒天を安置する外陣東端から本堂奥に入り、地下の回廊を巡る「戒壇巡り」をした。 回廊は9間4面の36間あり、大治元年(1126)丙午3月19日、覚鑁(カクバン)上人(後に根来寺を創建)が奉納 した如意宝珠を納めた蔵の錠前を、漆黒の闇の中で触れて結縁した。 これにより、七珍万宝家に満ち、福徳栄華累代に及ぶと言われるが・・・。 豊臣秀頼(秀吉との説もある)が再建した本堂は昭和26年(1951)漏電により焼失 現本堂は昭和33年(1938)再建。 閼伽水を汲みとる。 階段の途中左側にあった。 西方向の風景 西側縁に立つと、石造五重塔や玉蔵院の「日本一大地蔵」、「三重塔」が望まれた。 本 堂 信貴山山腹に建つ舞台造りの建物 正面の扁額の「毘沙門天王」の左右毘沙門天王の使いとされる百足が配置されていた。 内陣には御前立の毘沙門天を中央に 向って右側に吉祥天(毘沙門天の妻) 向って左側に禅膩師童子(ゼンニシドウジ 毘沙門天の子) が安置され、奥の厨子に 聖徳太子が奉安したといわれる毘沙門天(奥秘仏)、 弘法大師が奉安したといわれる毘沙門天(中秘仏) が納められている。 これ以上は撮影禁止 外陣東隅端に安置してあった。 舞台から南方向の風景 南面の舞台からは、王寺方面を中心に大和平野が遠望できる。 天気が良かった所為もあって、爽快だった。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2014年10月10日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



