|
空鉢堂(クウバチドウ)は信貴山山頂にあるので、そこまで上るのは、 にとって大変しんどいことであった。信貴山は、古代より河内と大和を結ぶ要所で、古代より城砦が築かれた、戦が繰り返された。 古くは、天智天皇の時に高安城の中心城域となった。 鎌倉末には、大搭宮護良親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点にし、楠正成も一時この城に拠った。 戦国時代には山城南部の守護代・木沢長政が天文5年(1536)修築し、永禄2年(1536)には松永久秀が入城し 本格的な山城に整備した。 しかし、天正5年(1577)松永久秀が織田信長に背き、織田軍の総攻撃を受け50日間の籠城の末落城、その 後廃城となった。 今は山頂の空鉢堂近くに「信貴山城址」碑 が建つのみであるが、参道から外れ、木々の間をさまよう と、土塁、切り通しの堀、城郭の跡が残っているを確認できる。 中腹の行者堂から20分、やっと空鉢護法堂(空鉢堂)に着いた。 空鉢堂は、朝護孫子寺の中興の祖・命蓮が竜王の教えを受け、「信貴山縁起絵巻」飛倉の巻で伝えるよう に、托鉢を飛ばして倉を飛翔させ、長者を後悔させて福徳を授けた出来事に由来し、念願必授を得んと 願う人々の為に山頂に竜王の祠を建てて、その守り本尊として「空鉢護法の神」を祀ったものという。 多くの参詣者から「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されてきた。 空鉢護法堂前からははるか大和平野を眺望することができた。 ここから奥ノ院には、山道を下って30分ほどという。 空鉢護法堂(空鉢堂)近くの参道の脇に8体の石仏が並んでいた。 信貴山城は信貴山雄嶽を中心とする山城で、東西約550m、南北約700mに渡って120以上の廓を配し、奈良県最大規模の中世城郭だった。 この辺りは、古代より河内と大和を結ぶ要所で、古代より城砦が築かれた所であるが、永禄2年(1559)松永久秀が本格的な山城に整備した。 しかし、天正5年(1577)松永久秀が織田信長に背き、織田軍の総攻撃を受け落城、その後廃城となった。 拝殿、本殿からなる。 中興の祖・命蓮が竜王の教えを受け、「信貴山縁起絵巻」飛倉の巻で伝えるように、托鉢を飛ばして倉を飛翔させ、長者を後悔させて福徳を授けた出来事に由来し、念願必授を得んと願う人々の為に山頂に竜王の祠を建てて、その守り本尊として「空鉢護法の神」を祀った。 多くの参詣者から「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されてきた。 お布施の米を惜しがった山崎長者は命蓮の托鉢を米倉に投げ入れた。 命蓮の托鉢が倉を持ち上げ、信貴山上まで運んでしまった。 追いかけてきた長者の懇願を聞き入れ、命蓮が法力を使って鉄鉢を飛ばすと、倉の中の米俵がそれに従って列をなして空を飛び長者の邸に戻った。 御神体は石造の祠に安置してあった。 空鉢護法の神は竜王だが「みーさん」と呼ばれ蛇(巳)と考えられ、(写真には入っていないが)拝殿には石造のどくろを巻いた蛇が3匹置かれてあった。 「みーさん」と呼ばれるが、空鉢護法の神は竜王である。 従って図柄も竜となっている。 空鉢堂前からの眺望 空鉢護法堂前からははるか大和平野を眺望することができた。 境内案内図 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2014年10月12日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]
にとって大変しんどいことであった。


