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学生時代の友人3人と共に桜が満開の鶴ヶ城城内を巡った。 天守閣登閣時貰ったチラシからの抜き取りで、鶴ヶ城の歴史をちょっぴり記しておく。 至徳元年(1384)芦名直盛が東黒川館を作ったのが始まり。 天正18年(1590)蒲生氏郷が会津領主として黒川城に入った。 文禄2年(1593)7層の天守閣を完成させ、鶴ヶ城と命名。黒川を若松と改め町割りを行った。 慶長3年(1598)上杉景勝が入部、しかし、関ヶ原合戦後米沢に移される。 上杉が去った後、蒲生、加藤と領主が替る。 寛永20年(1643)保科正之が23万石で会津に入った。 その後約250年間松平家(保科から松平に改姓)の居城となっていた。 慶応4年(1868)戊辰戦争で約1か月の籠城の末開城。 明治7年(1874)鶴ヶ城取り壊される。 月見櫓跡から眺める天守閣 堀に架かる廊下橋 「荒城の月」碑 土井晩翠は鶴ヶ城と仙台の青葉城をモチーフにして「荒城の月」を作詞した。 昭和22年(1947)建碑 土井晩翠直筆で、荒城の月の歌詞が記されている。 萱野国老殉節碑 昭和9年(1934)建碑 萱野権兵衛は、鶴ヶ城開城の際、既に戦死していた田中土佐、神保内蔵助と共に戦争責任を取り切腹した。 |
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2014年05月11日
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