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西郷頼母屋敷を見た後、旧中畑陣屋、「麟閣」を再現した茶室を見て回る。 さらに、武家屋敷の裏手に回ると、西郷頼母屋敷にあった会津天満宮や坂本竜馬暗殺実行犯とされる 佐々木只三郎の墓があった。 西郷屋敷内の一画にある蔵。 江戸時代上級武士の屋敷内には武具や家財を収納する土蔵が幾頭もあった。 会津の歴史を伝える資料館となっていた。 天保年間(1830〜1844)旗本松平氏の代官陣屋として西白河郡矢吹町中畑に建てられた。 明治維新後、岡崎家住居として使用されていた。 昭和49年(1974)に移築復元。 旧中畑陣屋は簡素ながら床、棚、書院などをはじめ次の間、玄関式台に至るまで書院造の形態を良く示している。 江戸時代、茶道は武士の嗜みとして重んじられた。 鶴ヶ城本丸内の茶室「麟閣」を再現したもの。 元西郷屋敷に祀ってあった天満宮。 戊辰戦争後、市内の八角(ヤスミ)神社に仮安置されていた。 昭和50年(1975)西郷屋敷が復元されてのを機会に当地に遷座された。 天保4年(1832)会津藩士佐々木源八の三男として生まれる。 旗本佐々木矢太夫の養子となる。 安政元年(1854)幕府が設立した講武所の剣道師範に任命される。 文久3年(1863)京都治安のため幕府が結成した浪士組取締役として上洛。 一旦江戸にもどるが、見廻組与頭として再上洛 近江屋滞在の坂本竜馬、中岡慎太郎を襲った者の一人とされる。 慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いで負傷、紀三井寺で没した。 十一月十五日、河原町蛸薬師の醤油屋の二階で土佐の海援隊長坂本竜馬、陸援隊長中岡慎太郎が 暗殺された。 ― 中略 ― 刺客は最初は近藤勇ら新選組の手の者と信じられていた。 あるいは海援隊の関係で竜馬に含むところがあった紀州藩三浦休太郎の使嗾(シソウ)によると信じられ、 報復のために十二月十七日海援隊陸援隊有志によって、伏見の天満屋に三浦を襲撃するなどが あったが、現在は見廻り組の佐々木唯(只)三郎以下7名の犯行であることが確定している。 (大岡昇平「竜馬殺し」) 坂本竜馬、中岡慎太郎の暗殺犯について大岡昇平などは佐々木只三郎と断定しているが、疑義をはさむ人 が多くいることを付け加えておく。
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2014年05月16日
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