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「野口英世青春通り」の北端、道路元標のあった「大町四つ角」から北に、会津若松駅前までのびる道が 「大町通り」で、「町方蔵しっくい通り」と愛称が付く通りであった。 途中の西軍墓地辺りまで行ったが、愛称とおり、通り沿いあるはその周辺には蔵作りの民家・店舗が 多くみられた。 慶応4年(明治元年、1868)の会津戊辰戦争では会津藩は悲惨極まったが、西軍もが多くの血を流さねばならなかった。 会津若松付近で戦死した西軍十余藩の兵士174柱の墓 |
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2014年05月18日
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