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飛騨の高山を小京都という。このことに印象としてまぎれもない。 ある町角では、ふと京都よりも京都ではないかとおもったりする。 規模が小さいだけに、品格のある造りも、その磨き方も入念なのである。 (司馬遼太郎「街道をゆく」飛騨紀行) 高山陣屋を出た後も、小降りの雨だった。 高山陣屋の目の前の中橋近くのホテルの喫茶室で30分ほど休んでいたら、傘を差さないでも我慢できる程 度になっってきた。 そこで宮川に架かる中橋を渡り、宮川の東側、南北に延びる古い商家民家が軒を連ねる町並み(三町伝統 的建造物群保存地区、下二之町大新町伝統的建造物群保存地区)―「古い町並み」と呼んでいる―を見物 に歩いた。 「古い町並み」の地域は、豊臣時代、金森長近が秀吉の命で飛騨を征し、領主として封ぜられ、城下町を 整備した時の商人町である。 金森氏の治世は約100年続き、元禄5年(1692)金森氏が出羽へ転付され、幕府直轄領になった後も、飛騨地 方の商業の中心として栄えた。 現在でも、江戸時代後期から明治時代の建物が数多く残っており、国の「重要伝統的建築物群保存地区に 選定されている。 司馬遼太郎が記すような独特の雰囲気を残す「古い町並」の中心通りには、相変わらず観光客が多く訪れ ていた。 話しぶりから、近隣の外国の人々が多いと感じた。 高山本陣前の宮川に架かる中橋を渡ると(向かって左手に)古い商家の街並みとなる。 雨宿りしたホテルの喫茶室からの眺め 「さるぼぼ」が窓際に飾ってあった。 さるぼぼは「猿の赤ん坊」という意味で、飛騨地方で古くから、縁起物として作られる人形。 三町伝統的建造物群保存地区 明治12年(1879)築 重文 下二之町大新町伝統的建造物群保存地区 いま高山の町を歩いていると匠たちが思う存分腕をふるったノミのあとを幾つか、町屋づくりの 中に見ることができる。 大新町の日下部邸もその一つである。 入口を入ると広い土間と上がり框(カマチ)に沿って太い大黒柱、その上に四方に広がる壮大な梁と のびのびした空間、そして細かいところまで行き届いた念入りな仕事、これらの豪快重厚な 構造美は訪ねる人々を驚かせる。 (司馬遼太郎「街道をゆく」飛騨紀行) 明治40年(1907)築 重文 下二之町大新町伝統的建造物群保存地区 高山の歴史や工芸伝統文化を紹介。 江戸時代の豪商で一之町の年寄であった矢島家と豪商の永田家の跡地に建てられた。 展示室は江戸時代から明治にかけての土蔵を活用している。 一筋離れた所に、黄金時代の日活の裕次郎や小百合の映画看板やポスターを掲げていた。 宮川の支流・江名子川に架かる橋 両たもとが外側に開き、高欄・擬宝珠付の朱塗りの優雅な橋。 江戸時代では、二之町の川上魚問屋が運上金なしで商売ができる御礼として代々自力で架けたという。 |
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